備中松山城とベンガラの里吹屋(2012年11月6日撮影)

備中松山城
岡山県の高梁市の中心部から北に直線距離にして約3km臥牛山の頂にある日本百名城のひとつに数えられる備中松山城、古くは鎌倉時代の延応2年(1240年)に秋葉三郎重信によって砦が築かれたのが城の始まりとされ、戦国時代の三村元親のときには臥牛山の山域全体が要塞となっていました。天正二年(1574年)に備中兵乱が起こり三村氏は毛利軍に滅ぼされ、以後毛利氏の東方進出の拠点となっていたようです。関ヶ原で西軍に与した毛利氏が敗れた後は小堀氏、池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏そして板倉氏と城主が変わりながら幕末まで続いたとのことです。
日本三大山城のひとつで標高約430mにあるこの城は国内随一の高さのところにあり、慶長5年(1600年)に小堀正次、正一(遠州)父子が修改築しその後天和3年(1683年)に水谷勝宗が修築したと伝えられる天守閣や二重櫓等が残されており国の重要文化財に指定されています。
        
      城は車で上まで行くことはできず、日曜祭日や混雑時は山の1合目にある駐車場からシャトルバスで行くこととなります。訪れたこの日は平日でオフシーズンとあり8合目のふいご峠の駐車場(10台くらい停めることができます。)まで車で行くことができましたが、それでもここから急な坂道を20分近く登らなければなりません。
年寄りには結構きつい登りです。
        
大手門内枡形からみる高石垣
歩き始めて十数分で大手門後に到着します。
この石垣は岩盤の上に築かれていますが、築城後400年以上経過して崩落の危険も出ており、市の教育委員会で監視システムを設けて観測しているようです。
        
三の平櫓東土塀
四角い矢狭間と丸い筒狭間が設けられた土塀で築城以来現存するもので国の重要文化財に指定されています。
        
三の丸跡
三の丸は結構広いところで足軽番所や上番所、三の平櫓等がおかれていたようです。
        
二の丸から見る本丸
駐車場から歩き始めて20分弱で二の丸に到着です。
左から六の平櫓、五の平櫓(いずれも復元されたもの)そして天守閣(現存)です。
        
天守閣
二層二階建て木造瓦葺の天守閣の内部には装束の間や城の守護神を祀った御社壇があります。
        
天守閣から見る五の平櫓(左)、本丸南御門(中央)、六の平櫓(右)そして土塀で、いずれも復元されたものです。
        
二重櫓
本丸の北側にあるこの櫓は巨岩を櫓の台として二層二階建てとなっています。
        

中太鼓の丸跡の石垣

中太鼓の丸跡から見る高梁市内
        
以下の写真は2014年4月6日に撮影したものです。  
   

雪降る大手門高石垣

黒門跡
 
   

上太鼓丸

五の平櫓
 
 

天守閣と二重櫓の間にあり復元された腕木御門

本丸東御門(復元)
 
   

天守閣

二重櫓
 
 

本丸土塀と天守閣
 
 
ベンガラの里吹屋

備中松山城を見た後で同じ高梁市内に重要伝統的建造物群保存地区に指定されている吹屋の街並みがあるとのことで車を走らせました。高梁市内といっても中心部から20km以上あり、山道も通るので1時間近くかかります。
ここ吹屋は江戸時代の中期に吹屋銅山の鉱山町として発展し明治時代にはベンガラ(酸化第二鉄)の日本唯一の産地として繁栄を極めたようです。見るところは点在しており全てを見る時間もないので「吹屋ふるさと村」と廃校になった旧吹屋小学校を回ってみました。
 
 
旧吹屋小学校
明治6年(1873年)に創立された吹屋小学校は明治33年(1900年)にこの地に移り以来11年間もの間多くの児童を世に送り出した現役最古の小学校でしたが少子化により児童数が激減、平成24年3月31日をもって閉校となりその幕を閉じました。山間の学校としては不釣合いなほど大きな校舎はベンガラ産業で繁栄したこの地の栄華を物語っています。
 
 
   
 
   
 
   
   
   
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