ブダペスト その4  
        

ドナウ川越しに見るブダ地区
 
   
 


ハンガリー国会議事堂

コシュート・ラヨシュ広場に立つ国会議事堂、1904年に左右対称のファサードのゴシック・リヴァイバル様式で建てられています。
前回訪れたときは外観を撮影するだけでしたが、今回は内部の見学も行われます。
広場には、オーストリア・ハンガリー二重帝国において2度にわたって首相を務めたティサ・イシュトヴァーン(Tisza István)伯爵を記念するモニュメント(右の写真)が置かれています。
ティサ・イシュトヴァーンは、保守派の政治家として首相を務めましたが、第一次世界大戦で敗戦となり、ハンガリー革命が起こった際に革命兵士によって暗殺されています。

 
 
    
ツアー客全員そろって議事堂内の見学です。内部の撮影は王冠を除いてどこでも撮影してもよいとのことで、日本の国会議事堂を見学した時は決められたとこだけと制限が多かったことと比べるとずいぶん違います。  
   

大階段

カーテン模様のステンドグラス
 
 
議事堂内に入ってびっくりしたのが、これが国会議事堂?どこかの宮殿ではないかというくらい絢爛豪華な内装です。どこもかしこも金ピカです。  
   
   
 
ロビーの柱には何体もの民族衣装を身に着けた人たちの彫像があり、壁際の椅子のそばには変わった形のものが置いてありました。何と葉巻たばこを置く台(右端の写真)とのことです。そんなに葉巻を吸う人が多かったのでしょうか。  
   
 
議 場  
   
国会議事堂内の見学を終えてホテルに戻り午後は自由行動です。昼食を食べてSさんと二人でペスト地区を歩くことに。  
   
 



エルジェーベト橋(Erzsébet híd)

ブダペストのドナウ川にかかる橋の中では川幅の最も狭いところに架けられた橋で、橋の全長は約380mです。
最初の橋の建造が開始されたのは、「シシイ」の愛称で親しまれていたオーストリア皇后エリーザベト(ハンガリー王妃エルジェーベト)が暗殺された年のことであり、1903年に完成した際には、彼女の名がつけられました。
橋はほかの橋同様に、第二次世界大戦末期に、退却するドイツ軍によって爆破され、再建されたのはセーチェニー鎖橋の再建より15年も遅い1964年のことでした。
 
 
   

エルジェーベト橋より見るセーチェーニ鎖橋
 
   
 


エルジェーベト橋からは王宮の丘がよく見えます。
橋を渡ったペスト地区の袂には、ブダペストの教会では最も古いカトリックの旧市街聖堂 (Belvárosi Plébánia templom)があります。この教会の創建は12世紀とのことですが、現在あるのは15世紀に再建されたもので、18世紀に火災の被害にあってたびたび修復されており、バロック様式、新古典主義様式が混在した形となっています。
 
 
 



ブダペシュト・ドハーニ街シナゴーグ(Dohány utcai Zsinagóga, Tabakgasse Synagoge)

ブダペストのユダヤ人街にあるシナゴークで、Мされむ、ニューヨークにあるシナゴークに次いで世界で三番目、ヨーロッパでは最大の大きさのシナゴークです。建物は1859年にビザンチン・ムーア様式で建てられており、2本のタマネギ型の塔が特徴的となっています。
 
   



午前中にも歩いており、英雄広場まで行くのに地下鉄に乗ることに。
デアーク・フェレンツ広場駅から英雄広場まで地下鉄で7駅、わずか8分程の乗車ですが、地下鉄への入り口から地下に降りてホームに出るまでSさんと二人で迷子状態に。初めてのところは難しいですね。
 
   
市民公園(ヴァーロシュリゲット Városliget)

市民公園は、アンドラー通りの突き当りにあって、当初は18世紀の半ばに造成されたバッチャーニの森とよばれていたところで、19世紀の初頭に公園として整備された、世界で初めての公園です。
公園内には、英雄広場をはじめ、ヴァイダフニャディ城、現代美術館、西洋美術館、セーチェニー温泉、交通博物館、アイススケート場、動物園などがあり市民の憩いの場所となっています。
 
        

国立西洋美術館(Szépművészeti Múzeum)
 
現代美術館(Műcsarnok)
 
 
ハンガリー建国1000年を記念して英雄広場に建てられたもので、現代美術館は向かった右側、西洋美術館は向かって左側にあります。
現代美術館は常設の展示場ではなく企画展示用となっており、西洋美術館はエステルハージ家のコレクションが元となっており、古代エジプト美術をはじめ13世紀から19世紀に至る西洋絵画、彫刻など約100,000点以上が所蔵、展示されています。
 
         
 


英雄広場(Hősök tere)

広場は広大な市民公園の中にあり、中央には大天使ガブリエルが右手に聖イシュトヴァーンの王冠、左手に大主教十字を握って立つ柱(右の写真)があり、その後ろ左右にある柱にはイシュトヴァーン1世、マーチャーシュ1世をはじめとする各7人のハンガリー王たちの像があります。
 
 
   
 
   
     
 
   



ヴァイダフニャディ城(Vajdahunyad vára)

シティパーク湖(városligeti-tó)と名付けられた湖というより池に面して建てられたこのお城、ハンガリー建国1000年を記念して1896年に、ルーマニアのハンヤード城(別名:コルヴィン城)を模して建てられたもので、現在はハンガリー農業博物館として利用されています。
 
   



セーチェニ温泉(Széchenyi gyógyfürdő)

セーチェーニ・イシュトヴァーンの名をとって命名されたこの温泉は、ヨーロッパ最大の温泉で、1913年にバロック・リヴァイバル様式で建てられています。
温泉は当初混浴であったといわれており、現在は3つの露天風呂と15の屋内風呂があり、温泉の成分としては硫酸塩、カルシウム,、マグネシウム、炭酸水素塩、フッ化物などが含まれていて、その湯温は70℃以上あるとのことです。
ツアーで同行した人が入浴したと聞きましたが、結構熱い風呂だったといってました。、
 
   

  
 
フランツ・リストのレリーフ像
 
コダーイ・ゾルターンのレリーフ像
 
フェレンツ・エルケルのレリーフ像
 
アンドラーシ通り沿いにあるリスト・フェレンツ記念博物館
フランツ・リストが1881年から5年間住んでいたアパートで、現在は博物館となっており、リストが使用していた家具やピアノ、ハプスブルク家から送られた賞状などが展示されているとのこと。建物の壁にはリスト、コダーイ・ゾルタン、フ
ェレンツ・エルケルのレリーフ像が掲げられています。
 
   
 


ベルリンの壁記念碑(左)と鉄のカーテン記念碑(右)

アンドラーシ通りを歩いていると妙なものが置かれています。下にある説明文を見てみると市内の別の場所におかれていたものをここに移したとありますが、東西ドイツを二分していたベルリンの壁や鉄のカーテンの遺構をここに置いて、当時の弾圧や抑圧を受けた記憶が風化しないようにしているようです
 
 
   
 


リスト・フェレンツ音楽大学

リスト・フェレンツ広場の東側にあって、リスト音楽院あるいはフランツ・リスト音楽院とも呼ばれている音楽学校で、1875年にリストにより創設され学校です。広場にはリストの銅像が置かれています。
 
 
   




まだまだ見たいところはあるけど、スマホの歩数計はすでに27000歩を越えています。せっかくゲッレールト温泉のホテルに泊まっているのだから温泉に入ろうと意見が一致して夕方6時過ぎにホテルに戻ることに。
太陽はすでに王宮の丘の向こうに隠れています。
 
 

夜のゲッレールト温泉
 
   
観光も終わって明日はいよいよ帰国の日です。天候は中盤でこそ曇りの日もありましたが傘をさすこともなく済み、Sさんと「二人で旅行するとなんでこんなに天気がいいんだろう」というくらい天気に恵まれた旅行でした。  
   
   
   
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