カーンとリヴァロ  
 

カーン
(Caen)
 

レンヌのホテルをリヴァロに向かって出発して1時間少し経ったところで、添乗員さんからカーンに寄り道しますとのアナウンス。
カーンはノルマンディ地方にあるフランスを代表する城下町の一つで、中世からの歴史があり、征服王と呼ばれたウイリアム1世が築城したカーン城の遺構が残っている街です。
第二次世界大戦末期の1944年の6月6日にカーンから20km程離れたところにあるサン・トーバン・シュル・メールに上陸した連合軍による、ノルマンディー上陸作戦の際に激戦地となり、その殆どが灰燼に帰し、その再建には14年が費やされたといわれています。
立ち寄ったこの日は、1944年の7月9日に、ルマンディー上陸作戦で、イギリス軍とカナダ軍がカーンの街を確保した日からちょうど75年目にあたっていました。


右の写真は白花マロニエですが、少し花の時期が遅いようです。
 
      
 
カーン城の城壁
 
     
   
  サン・ティテンヌ・ル・ヴュー教会(Church of Saint-Étienne-le-Vieux)
単に旧サンテティエンヌ教会(Old St Stephen's Church)あるいは聖エティエンヌ教会とも呼ばれるこの教会は、カーンの旧市街の中心部にあり、10世紀に創建されたと推定されいます。
教会は、15世紀の英仏百年戦争時カーン包囲作戦で破壊され、その後修復が行われたものの、第二次世界大戦時に連合軍が、ドイツ軍を狙った砲弾が当たって大部分が破壊され、現在に至るまで修復が行われずそのまま廃墟の形で残され、史跡として保存されています。
 
      
 
ギュァール広場と男子修道院
 
      
 
ギュァール広場から見るサン・ティテンヌ・ル・ヴュー教会
 
     
   
  男子修道院(Abbaye aux Hommes)
征服王ウィリアム1世によってカーンに建設された二つの修道院のうちの一つで、今回訪れなかった女子修道院は1060年の完成。この男子修道院は1063年に完成したものです。その後修道院は、ともに廃止されており、男子修道院は現在は市庁舎として使用されています。

 
 
   
     
 
 
主祭壇(左)とウィリアム1世の墓(右)
 
     
 
 



修道院の裏側に回ると、1ヶ月余にわたったノルマンディー上陸作戦がいかに激しかったのか、建物の壁にはいくつもの弾痕が残されています。
 
     
   
  カーンの街の通りにはノルマンディー上陸作戦に携わった連合軍の軍人たちの名前が付けられています。こちらの通りはマレシャル・モンゴメリ通りとなっていて、バス停にはモンゴメリーと表示されていますが、イギリス陸軍の総司令官バーナード・ロー・モントゴメリー(Bernard Law Montgomery)のことです。  
   
地図
で調べると、カーンにはカーン城の遺構が残されており、女子修道院や記念公園などもありますが、何せ予定外での立ち寄りですので、残念ながら昼食後には次の目的地リヴァロに出発です。
 
     
  リヴァロ(Livarot)

カーンから約1時間でリヴァロに到着です。リヴァロはチーズの生産で有名な街で、ここでは観光は行わず、チーズ工房の見学と試食でした。

 
 
   
  あいにくとチーズがあまり好きでない私は、4種類のチーズが少しずつ味が違うことは判るものの・・・・・
ということで、出発時間まで少し間があるので街の中心部まで歩いてみることに。
 
 
 
大きな石臼が置かれています。何を挽いていたのでしょうか。
 
 
   
  道端には何やら花籠と思しきものが置かれています。看板には「APIcite」と書かれており、その右には蜂の絵が描かれています。どうやら蜂蜜業者の宣伝用のようです。
 
 
 
街の中心部から少しばかり歩くとすぐに牧草地帯となります。
 
 
 
古い煉瓦造りの建物は街のカルチャーセンターとなっています。
 
   
   
  マル・フォッシュ通り(Rue Mal Foch)の奥にはカトリックのリヴァロ教会(Église de Livarot)が見えます。  
   
 
コロンバージュと呼ばれる木骨造りの古い家が何軒もあります。
 
   
     
     
     
     
     
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