ディナン(Dinan)
 
サン・マロからランス川を25km.ほど遡ったところにあるディナン、新石器時代からこの街に人が定住していたのではと考えられていますが、歴史上に登場するのは11世紀で、バイユーのタペストリーの一場面にモット・アンド・ベリー(「モット城郭」とも呼ばれます・)を攻撃する図に登場してきます。
14世紀のブルターニュ継承戦争ではイングランドに包囲されましたが、ベルトラン・デュ・ゲクランが街を守り抜き被害を抑えており、第二次世界大戦でも爆撃を受けるも被害は最小限にとどまり、木骨造りの家が中世の面影を残す街となっており、「芸術と歴史の街」として指定されています。

 
 
 
 



ベルトラン・デュ・ゲクランの騎馬像

デュゲクラン広場にあるこの騎馬像は、14世紀から15世紀にかけてイギリスとの間で行われた百年戦争時に、フランスの劣勢を挽回した当時の司令官ベルトラン・デュ・ゲクラン(Bertrand du Guesclin)の像です。
ゲクランは、ディナン近郊にあるラ・モット・ブローン城主ロベール2世・デュ・ゲクランの息子として生まれましたが、容貌が魁偉であったことから「鎧を着た豚」ともあだ名されていました。
軍人としては少ない兵力を有効に活用するゲリラ的戦術を得意として戦い、死後のフランスでは破天荒な豪傑、救国の英雄と見なされるようになり小説や映画の題材にも取り上げられています。
      
 
時計塔(Tour de l'Horloge)
旧市街の中心部を通るオルロージュ通り(Rue de l'Horloge)沿いにあるこの時計塔(ロルロージュ塔とも)は、15世紀の後半に建てられたもので、高さが約45mあり街のシンボルとなっています。道が細いため全体をきれいに撮ろうとしても難しくこれが精いっぱい。
時間があれば塔に登って街の風景を撮れるのですけど・・・・
 
     
   
     
 
 



ハープの家(Maison De La Harpe)
木骨造り(コロンバージュ)の家の壁には何体もの木彫りの人形が飾られていますが、アップして撮影すると柱もかなり古くなっており、相当年月を経て摩耗しているのがわかります。(下の写真)
建物は歴史的建造物に指定されていて、現在はハープ史料館として夏の間だけ開館しているようです。
 
      
   
     
   
   
中心部のジュルジュアル通り(La rue du Jerzual)には15世紀頃に建てられた、コロンバージュの家が多く残されています。建物の多くはポーチハウス(Maison à Poche)という軒下のある構造となっています。日本だと雁木造り、イタリアだとポルティコでしょうか。
 
 
   
     
 
 
ディナンの街はランス川沿いの街ですので結構坂があります。おまけに石畳の道ですので歩きにくく、年寄りにはハードな道となります。
 
 
   
   
 
 



聖キャサリンの塔(La Tour Sainte-Catherine)

ディナン城を取り囲む形で13世紀に設けられた城壁には合計で21か所の監視塔が設けられていました。
現在でもいくつか監視塔は残っていますが、この塔は残されている塔のうちの一つで、街の東北角にあって眼下にランス川を見下ろす位置となっており、外敵環視の砦として重要な位置となっていました。
 
     
   
  聖キャサリンの塔からはランス川沿いの街並みが一望できます。川岸には多くの船が停泊しているので、ここから川を下ってサン・マロを経てイギリス海峡まで行くのでしょうか。
写真の上方がサン・マロとなりイギリス海峡となります。
 
 
 
   



オーギュスト・パヴィの像
イングリッシュガーデン(Jardin Anjlais)に置かれているこの像は、1847年にディナンで生まれた冒険家、技術家そして植民地の行政官であったオーギュスト・パヴィ(Auguste Jean-Marie Pavie)の胸像です。
パヴィは19歳で陸軍に入隊後、ベトナム南部のコーチシナに派遣され、その後フランスが植民地として統治することとなったラオスの総督となった人です。
      
 
ディナン城の城壁は周囲約2.7kmにわたって続き何ヶ所か門も置かれていました。お城も残されているようですが、現在は博物館として利用されています。
 
 
 
 



サン・ソヴール・バジリカ聖堂(La basilique Saint-Sauveur)

12世紀に建設が開始されたこの教会、16世紀に鐘楼が崩壊したものの17世紀にかけて修復が行われており、ロマネスク様式とゴシック様式が混在した形となっています。

正面ファザードの写真を撮りたかったのですが、あいにくと逆光状態、やむを得ず斜め右からの撮影です。
 
   
   
     
 
主祭壇
 
 
翼廊のステンドグラス
 
 



ベルトラン・デュ・ゲクランの慰霊碑

教会の右翼廊にあるこの慰霊碑には、1380年に赤痢によって60歳で死亡した、ゲクランの心臓が埋め込まれています。
      
 
   
  ディナンの観光を終えて昼食の場所であるプルーディアン・シュル(Pleudihen-sur)
に移動。川岸にあるレストランのモルドルク(Mordruc)で昼食となります。川幅が結構広くなってきています。対岸にはお城のようなものが望めます。
 
 
   
  Googleマップでは「Le château de Péhou」sv」と表示されます。「ペウ城」とでも発音するのでしょうか。  
     
   
     
 




レストラン前の船着き場に1頭のゴマフアザラシがいます。
調べてみるとオスの野生のアザラシで、ジョセフィン(Josépine)とと名付けられていて、推定17歳とか。数年前からモン・サン・ミシェル付近からこの地に移り住み昼寝をしているようで、近くに住んでいるおじさんが顔を撫でていましたが、気持ちよさそうな顔をして目を瞑っています。
 
 
     
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