ポルトガル発祥の地 ギマランイス  
レグアからバスで約1時間半でギマランイス(Guimarães)に到着します。空は相変わらずどんよりとした雲に覆われています。
ここギマランイスは、ポルトガル王国の初代国王となるアフォンソ・エンリケス(アフォンソ1世)が、ギマランイス城内で生まれたことから、「ポルトガル発祥の地」または「ポルトガル王国発祥の地」と呼ばれています。
ギマランイスの地名は、868年にポルトゥカーレ伯領を築いたヴィマラ・ペレス伯爵の名に由来するとされています。
1109年に城内で生まれたアフォンソ・エンリケスは1128年にカスティーリャ王アルフォンソ7世と戦いこれを打破してポルトゥカーレ公爵となり、その後1139年にはオーリッケの戦いでイスラムのムラービト朝を打破。1143年にローマ皇教の仲介を得て正式にポルトガル国王アフォンソ1世となりました。
ギマランイスの旧市街には、王国発祥後建てられた中世の街並みが維持され続けており、2001年には「ギマランイスの歴史地区」としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。
右の写真はギマランイス城のそばにあるアフォンソ1世の像です。
   
 
  
 
   
  ブラガンサ公爵館
ジョアン1世の初代ブラガンサ公爵となった、ドン・アフォンソが15世紀に建てたゴシック様式の宮殿で、16世紀に侯爵家がエストレモス近郊にあるヴィラ・ヴィソーザに移転した後は廃墟となっていましたが、現在は政府の公館として賓客の接待などに用いられています。
 
       
  サン・ミゲル教会
ギマランイス城の入り口近くにあるこの教会は、12世紀にロマネスク様式で建てられた教会で、アフォンソ・エンリケスがここで洗礼を受けています。教会は19世紀の後半に一度壊されたため、20世紀になって復元されました。
 
     
ギマランイス城
ポルトゥカーレ伯爵第3代のヘルメネギルド・ゴンサレス(Hermenegildo González)と死別して、政務を引き継いだ夫人のムマドナ・ディアスが、951年と翌年にわたって受けた天啓に従って、この地に修道院を築き、ヴァイキングからの襲撃から町と施設を護るべく、959年に造ったのがこの城です。
高い城壁に囲まれたこの城には、創建件当時8つの塔がありましたが、現在残っているのは7つで、中央には高さ28mの塔があります。
   
    
   
        
     
     
聖セニョーラ教会
16世紀末にバロック様式で建てられた教会ですが、現在は、老人ホームや福祉関係で用いているようです。
     
 
     
  サンタ・マリア通りを歩いているとホタテ貝のマークを発見。
ここギマランイスも、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の「ポルトガル人の道」の通過地点です。
ここからサンティアゴ・デ・コンポステーラへはまだ200kmほどあります。
 
 

 
 
これは猫でしょうか? 
 
     
   
 
サンタマリア通りを歩いてゆくとサンティアゴ広場(右の写真)に出ます。中世の佇まいの残る街並みです。  
     
  オリベイラ広場にある戦勝記念碑
1340年ムーア人との間で行われたレコンキスタの戦争である「サラドの戦い(サラードの戦いともいわれます)」の勝利を記念して、アフォンソ4世により建てられた記念碑です。
 
サンティアゴ広場とオリベイラ広場の間には旧市庁舎があり下の回廊を通って行き来できます。
 
     
ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会
(Igreja de Nossa Senhora da Oliveira)
ポルトガル語で「「オリーブの木の聖母教会」と名付けられ、オリベイラ広場にあるこの教会は、サラドの戦いの勝利を記念して、15世紀初頭に建てられた教会で、ロマネスク様式で建てられ、その後ゴシック様式へと改築が行われ、混在する形となっています。
     
 
     
ブラジル共和国庭園と聖母サントス・パソス教会
何故か「ブラジル共和国庭園(Jardim do Largo da República do Brasil)」と名付けられた庭園の先には、16世紀の終わりごろに建てられた、聖母サントス・パソス教会(Igreja de Nossa Senhora da Consolaca~o e Santos Passos)があります。教会で二つの尖塔が特徴です。
   
   
 
 
     
午後5時40分ギマランイスを出発し、最終目的地のポルトに向かいます。  
     
     
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