岐阜城と郡上八幡城  
   
岐阜城(2010.08.26撮影)
 
岐阜市内金華山の頂上にある岐阜城、建仁元年(1201年)二階堂氏によって築城され、その後斉藤道三、織田信長の居城であったことで知られていますが、:慶長5年(1600年)に廃城となり、天守や櫓は加納城に移築されたとのこと。明治時代に木造で再建されるも火事で焼失、現在の天守は昭和31年(1956年)に再建されたものです。
金華山ロープウェーで麓まで数分、ここから階段の道をさらに徒歩で7分ほど歩いて到着。ところが山城のことで撮影ポイントは限られており、数枚しか撮影できず、天守からの岐阜市内の眺望も炎暑のため霞んではっきり見えず断念。
 
     
    
    
川原町の町並み
岐阜公園そばの川原町に古い町並みがあると聞いてちょっと寄ってみました。
 
       
   
       
   
       
郡上八幡城と郡上八幡の町並み(撮影2010.08.27)

郡上八幡城
岐阜県は郡上踊りで知られる郡上市、町を一望できる八幡山(標高354m)の頂上に聳え立つのが郡上八幡城です。戦国時代の末期永禄2年(1559年)に遠藤盛数が砦を築いたのが城の始まりといわれており、その後稲葉、井上、金森、青山氏が城主となっていました。(山之内一豊の妻千代は初代城主遠藤盛数の娘)
明治時代に入って廃城となり石垣を残して取り壊されましたが、昭和8年(1933年)に大垣城を模して天守閣が木造で再建されて現在に至っています。
城に行くには、町中から車で細く曲がりくねった一方通行の道を、何度か切り返しを行いながら登ること約5分で到着します。天守閣からは郡上の町並みが一望できすばらしい景観が望めます

  
 
       
   
   
   
天守閣から見る郡上八幡の町並み
 
 
   
       
  東殿山城跡と赤谷山城跡
八幡山と向かい合う東殿山に、東氏が築いた東殿山城と赤谷山城があったとのことですが、遠藤氏に攻め込まれ落城、現在はほとんど遺構も残っていないようです。
 
   
  首洗い井戸跡
慶長の合戦で討ち取られた攻め手の武将の首を洗い、首実検に供されたとのことです。
 
   
郡上八幡の町並み

毎年夏の32日間、江戸時代から続く「郡上踊り」は有名なこの町、昼間でも結構観光客がバスを連ねて訪れており、写真を撮るのに一苦労です。重要伝統的建造物群保存地区に指定されている古い町並みが残っていますが、惜しいのは電柱まで残っていること。これがなければ絵になる町並みなのにちょっと残念。
 
    
       
   
       
  宗祇水
別名「白雲水」と呼ばれるこの湧き水、室町時代の連歌師だった宗祇の庵がこの近くにあったことから宗祇水と呼ばれるようになったとのことで、「日本名水百選」の第1号として登録されています。
 
       
  吉田川
木曽川の支流にあたるこの川、鮎の友釣りが盛んのようです。
この少し下にある新橋では夏場に「吉田川の飛び込み(ジャンプ)」が行われているようですが、ごらんのように水量が少ないのに大丈夫なのでしょうか。 
 
  
 
 
   
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