函館まちあるき その2
 
 
   
  上の写真はJR北海道の函館駅、下の写真は北海道新幹線の停車する新函館北斗駅です。
函館駅と新函館北斗駅は約18km離れており、新函館北斗駅へのあくせすをよくするため設けられた函館ライナーで19分掛かります。
 
 
   
     
   
  初代函館駅所在地の碑

函館駅の西口近くにあるこの碑は、1902年(明治35年)にこの地より北に1kmほど離れたところで開業した初代函館駅の記念碑として設けられましたが、港との便の問題から1904年にこの地に移設されたのに伴って碑も移動したものです。(初代函館駅は火災で類焼し焼失しています。)
 
 
 
マンホール蓋

各地でデザインマンホールが流行りだしていますが、ここ函館でも函館駅前や元町・ベイエリアなどにカラーマンホールがあります。
雪の降る函館では冬の時期は滑りやすいこともあるので無着色のものと交換しているようです。
 

 

 
函館朝市発祥の地碑と朝市

碑は函館駅西口から150mほど南の開港通りにあり、1945年(昭和20年)に周辺の農家が野菜などの立ち売りを始めたのがはじまりで、その後何回か移転しており、現在は西側一帯で合計280店舗が営業しています。
 
 
 
 
 
   
  ベイエリアにある金森倉庫跡は金森赤レンガ倉庫として残されており、現在はショッピングモールとして利用されており観光客が多く訪れています。
  
 
 



ベイエリアの赤レンガ倉庫のそばには「幸せの鐘」と名付けられた鐘があります。二人でこの鐘を鳴らせば幸せになるといわれています。
鐘の奥には函館山が見えており、頂上の展望台も見えます。
 
      
 


高田屋嘉兵衛資料館(上)と北前船の碇(右)

高田屋嘉兵衛は、函館発展の恩人とも称される兵庫県は淡路島の出身の商人で、江戸時代の廻船業者で、雇われ船頭から身を起こし北前船を手に入れ、手つかずの状態であった箱館の地で弟と共に商売を開始し、1809年(文化6年)に起きた箱館大火の際には私財を投じて被災者の救助と復興事業を行いました。
翌年には造船所を建設し、多くの船の建造を行い箱館の発展に寄与しました。

(所在地:函館市末広町13-22)
   
 
   
  函館市地域交流まちづくりセンター
1923年(大正12年)に丸井今井呉服店の函館支店として、耐震耐火性に優れた鉄筋コンクリート三階建ての屋上ドーム付きで建てられましたが1934年(昭和9年)に発生した函館大火で全焼。その後復旧して店舗が再開されましたが、丸井が五稜郭に移転した1970年(昭和45年)から2002年(平成14年)まで函館市の市役所分庁舎として使用されていました。
建物は函館市の「景観形成指定建築物」に指定され、一部改修後に「地域交流まちづくりセンター」として利用されています。
 
(所在地:函館市末広町4-19)
 
 



操車塔
1939年(昭和14年)に、交差点での電車信号現示とポイントの切り替えを、手動による操作を行うために建てられたもので、現存する路面電車の操車塔では国内最古のものといわれています。
操車塔の高さは5.4m、上部の制御室の直径は1.9mあります。
この操車塔1969年(昭和44年)には6基ありましたが、施設の自動化が進んで順次姿を消して、この操車塔だけが電車信号機の制御装置が置かれて1995年(平成7年)迄使用されていました。
道路改良工事に伴いその役目を道路の終えて向かい側から現在地に移設して形態保存されています。


(所在地:函館市末広町5)
 
北海道坂本龍馬記念館(左)と坂本龍馬像(右)
坂本龍馬の生誕日と命日に因んで2009年の11月15日に開館した記念館で、この地に渡った坂本家子孫の手により建てられたものです。
 
 
   
  煉瓦造りの旧函館郵便局の壁にはツタに覆われていますが、夏場の写真は上のような感じですけど秋口に訪れると見事に紅葉しています。
 
 
   
     
   
   
   
  ホテルの窓から撮った夕方の函館山
 
 
     
     
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