世界文化遺産姫路城(2014年4月7日撮影)

日本の近代城郭中の、現存する12天守を代表する遺構となる、兵庫県姫路市にある姫路城は、国内最大の天守を持つ城で、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に指定されているほか多くの建造物が重要文化財に指定されています。
姫路城は「国宝四城」、「日本三名城」、「三大平山城・三大連立式平山城」のひとつで、このほかに「日本100名城」、「日本のさくら名所100選」、「平成100景」、「美しい日本の歴史的風土100選」等多くの100選にも選定されています。また、平成5年(1993年)には、ユネスコの世界文化遺産に日本のお城として初めて登録されています。

城は南北朝時代の1346年に守護大名であった赤松貞範によって築城されたといわれており、戦国時代の後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴(秀吉)氏が城代になると本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張されました。江戸時代に入ってからの城主は池田氏、本多氏、榊原氏、松平氏そして酒井氏とめまぐるしく変わり、池田輝政から明治新政府による版籍(藩籍)奉還が行われた時の酒井忠邦まで約270年間、6氏31代が城主を務めました。
訪れたときはちょうど桜が満開、でも天守閣を含む本丸部分は平成21年10月から平成27年3月まで約28億円もの費用をかけて大保守工事中で見学することはできず、工事完了後に改めて訪れてみたいと思っています。
    

Google earthによる上空写真(中央上部の白いところが天守閣のある位置となります。)
 
 

三の丸広場で見るカの櫓とワの櫓
 
        
内濠に架かる桜門橋と大手門
桜門橋は当時木橋で架けられていましたが発掘調査で出土した橋台の遺構を基に平成19年に復元されたものです。
 
大手門(桜門)
この大手門は昭和13年(1938年)に「桐二の門」があった場所に再建された高麗門で江戸時代は別の場所におかれていましたが、明治時代に陸軍が置かれたときに取り壊されて現存していないようです。
 
        
 
三の丸広場  
   
三の丸広場から見る大天守
まだ鉄骨に覆われ工事中です。白鷺城と呼ばれる美しい姿が見れるのは1年先です。
 
   
菱の門(重要文化財)
二の丸へと通じる大手口を固める脇門付の櫓門で、番人詰め所、馬見所があり門の冠木には名前の由来となった木製の花菱紋があります。
(下右写真)
 
 
   
いの門(重要文化財)
脇戸付高麗門で「菱の門」を抜ける戸正面にある最初の門。ここから先、天守へ至る道は「上道」と「下道」に分かれます。
 
   
西の丸南門跡
この坂を上ると西の丸の曲輪に続きます。左の建物は武者溜りです。
 
 
ワの櫓(重要文化財)
西の丸の西南角にある隅櫓で西の丸櫓群のうちのひとつで、右に「レの渡櫓」がありここから「百間廊下(長局)」が始まります。

時間があれば百間廊下を歩いてみたいのですが、ツアーでは自由時間もなく断念。
 
   
ヌの櫓(重要文化財)
西の丸北面に位置し、左に「ヨの渡櫓」、右に「カの渡櫓」と続きます。ヨの渡櫓の下を見ると岩盤が露出しているところがあります。(下右写真の中央部)相当固い岩盤で切り崩せないためこのような形で石垣が造られたのでしょうか。
 
 
   
化粧櫓(重要文化財)
西の丸東端にある櫓で、下左の写真の左側が「カの渡櫓」となります。この化粧櫓は千姫が本多忠政の嫡男・忠刻に輿入れする際の化粧料で元和4年(1618年)に建てられたもので、ここで化粧を直していたことからその名がついたとか。
 
 
   
はの門(重要文化財)
天守にいたる「上道」の途中にあるこの門は、「はの門南側土塀(重要文化財)」を右手に見つつ上ったところにあり脇戸付の櫓門となっています。
 
   
「はの門」の土台には石不足を補うため六角灯籠の台石が用いられています。 軒先の下にあたる部分には古い瓦が縦に埋められています。これにより雨滴が落ちても雨水が溜まらないよう工夫されているのです。
 
   
はの門を抜けると乾曲輪です。正面には「ロの櫓」(重要文化財)が見えます。  
       
乾曲輪の「ロの櫓」と反対側にある櫓ですがここは「ニの門」のところになります。櫓を見上げると石落しがあるのがわかります。右奥には工事中の本丸が見えます  
   
ろの門(重要文化財)
はの門を戻って「はの門南側土塀」が終わったところを左に曲がるところの門です。この門は脇戸付の高麗門となっており、まっすぐ進めば「いの門」に、左手方向に進むと「ぬの門」を抜けて上山里曲輪にいたります。
 
 
   
扇の勾配
上にいくほど反り返り、敵に石垣をよじ登らせないため工夫され、開いた扇の形をしていることから「扇の勾配」と呼ばれています。

南面石垣の中央にある石には刻印が打たれています。このような刻印は城内あちこちで見かけられるようです。
 
 
       
ぬの門(重要文化財)
扇の勾配を過ぎると「ぬの門」にいたります。この門は脇戸付二階建ての櫓門となっていて門扉は鉄板張り、屋根の裏側に石落しがつけられています。ぬの門の右に続くのは「リのニ渡櫓(重要文化財)」です。門を抜けたところは二の丸の上山里曲輪です。(下右写真は上山里曲輪側から撮影)
 
 
   
お菊井戸
お菊という女性の亡霊が皿を数える怪談で浄瑠璃、歌舞伎の題材で知られる「皿屋敷」伝説、一番有名なのは「番町皿屋敷」ですが、類似した話はここ播州にも残っていて江戸時代に出された「播州皿屋敷実録」という本では第九代城主小寺則職の家臣である青山鉄山とその妾であるお菊にかかわる話があり、そこに出てくるのがこの井戸とされています。
 
   
 
上山里曲輪にある八重紅枝垂桜はちょうど見ごろでした。  
   
上山里曲輪で見るチの櫓(重要文化財)
この櫓には入口がなく右側の「リの一渡り櫓」から入ります。ここではちょうど黒田官兵衛の歴史館が開催されていました。
 
    
太鼓櫓(重要文化財)
ヘの櫓ですがここで時を告げる太鼓が鳴らされていたことから太鼓櫓と呼ばれています。櫓の左側は「りの門」となり本丸に続きます。
 
   
るの門
「リの二櫓」の下を抜けるように造られている穴門です。五輪塔などで使用していた石材を転用して造られています。
 
   
三国濠曲輪
この濠は捨て堀とされ秀吉の時代は空濠で、「菱の門」を抜けてきた敵兵を「いの門」と「るの門」から挟み撃ちにし討ち取りやすく、また濠に落とすという策であったといわれています。
(現在は防火用として水を入れているとのこと)
 
   
三の丸から見るカの櫓とワの櫓
ちょうどこのあたりは江戸時代には御殿や屋敷があり本城(御居城)があり、本城には大広間(鶴の間)・小書院・新書院・御居間・能舞台などの御殿群が建ち並んでいたとのこと。現在建物やはなく千姫牡丹園となっています。
 
   

内濠越しに見る桜門橋と大手門

内堀越しに見る「ワの櫓」
 
   
以下の写真は2014年4月6日夜の撮影です。  
    

三の丸広場で見るカの櫓とワの櫓
 
   
4月6日は語呂合わせで「城の日」とのこと。通常有料の西の丸庭園も無料解放とのことで入って写真を撮ることに。あいにくと三脚使用不可とあり「手持ち夜景モード」での撮影です。  
   
 
   
 
     
 
   
    
    
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