弘前と黒石を巡るモニターツアー

2011年3月11日に発生した東日本大地震の復興を図るため観光庁が「東北復興キャンペーン」を行っており、そのひとつにモニターツアーがあることを旅行会社のHPで見つけて参加してみました。弘前市内と黒石を巡る1泊2日のツアーです。
モニターツアーだけあって旅費は国の補助が出るため格安で参加することができるので、当然参加する人数が多いかと思ったら総勢14名。同日に出発したほかのツアーはキャンセル待ちも出るくらいの参加があったようですが、旅行会社も拍子抜けのようでした。
 
   
弘前城(2012年3月9日及び10日撮影)
 
弘前城は1611年(慶長14年)弘前藩津軽氏の居城として築城されてから昨年が築城400年になる古城で、堀、石垣、土塁等城郭の全容がほぼ明治6年に発布された廃城令当時の原形をとどめ1棟の天守、3棟の櫓、5棟の櫓門が現存する、現存天守のひとつであり、国の重要文化財に指定されています。
築城当時の天守は1627年(寛永4年)に火災により焼失、1811年(文化8年)に本丸辰巳櫓を改修して天守として利用したとのことです。(徳川幕府は各藩の築城、改修に厳しい制限を設け、これによって改易される藩もかなりあったため幕府への届出は「櫓(御三階櫓)」とされたとのこと。)
  
 

下乗橋から望む天守閣
 
    
下乗橋と天守閣   天守閣  
     
  追手門
三の丸にあるこの追手門(大手門)は1610年(慶長15年)に建てられた櫓門形式の城門で、二層正面には鉄砲狭間が設けられています。(重要文化財)
(残念なことに雪が多いためこれ以上後ろに下がっての撮影ができず、広角レンズでも全体が入りきりません。)
 
     
  未申櫓(ひつじさるやぐら)
二の丸の南西にあるため未申櫓と呼ばれるこの櫓は、1610年(慶長15年)に建てられたもので三層三階の櫓です。(重要文化財)
 
     
  辰巳櫓
二の丸の南東にあるこの櫓は、1610年(慶長15年)に城郭に取り付く敵を攻撃したり物見のために造られたもので、防弾・防火のために土蔵造りとなっており、3層3階の櫓です。(重要文化財)
 
     
南内門
1610年(慶長15年)に二の丸南側に造られたもので、この門もニ層の櫓門形式で一層には覗き窓や通用門が設けられ、ニ層目には鉄砲狭間や物見が設けられています。(重要文化財)
 
   
丑寅櫓
二の丸の北東にあるこの櫓も1610年(慶長15年)に城郭に取り付く敵を攻撃したり物見のために造られたもので、防弾・防火のために土蔵造りとなっており、三層三階の櫓です。(重要文化財)
 
 
二の丸東門与力番所
城内の主要な箇所の見張り所として番所が12箇所設けられていたとのことで、この番所はそのうちのひとつで江戸時代中期に建てられたといわています。
 
   
鷹丘橋
本丸と北の郭に架かる橋で、弘前城は築城当初は鷹丘城と呼ばれていたことからこの名前にちなんで鷹丘橋と名づけられ、敵の侵入があったときは壊す架け橋であったようです。
 
   
杉の大橋
南内門外にある橋で造られた当初は杉材を用いて架けられたことからこの名前がついたとのことですが、後に檜材で架け替えたときに欄干と擬宝珠が追加したとのことです。
 
 
  雪囲いと天守閣
ガイドさんの話では、例年だとこの時期は雪もかなり少なくなっているようですが、今年は結構残っているので春への準備がまだまだとのことです。
 
        
弘前城にはこのほかにも三の丸東門、二の丸東門、北の郭亀甲門(何れも重要文化財指定)が築城当時のまま残っていますが、滞在時間が短いため見ることができませんでした。
又、城内にはソメイヨシノ、枝垂れ桜などが2600本あり、特に西濠の桜は見事とのことで例年4月下旬から5月初旬の開花の時期は観光客でごった返すとのことですが機会があれば訪れてみたいと思っています。
 
        
         
        
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