今治城と宇和島城  
   
今治城(2012年11月9日撮影)

日本100名城、日本三大水城にあげられている今治城(別名:吹揚城、吹上城)は、関ヶ原の戦いで戦功をあげた築城の名手と呼ばれる藤堂高虎が瀬戸内海に面した海岸に築いた城で、慶長7年(1602年)築城を開始し同13年に完成したとされ、広大なお濠には瀬戸内海の海水を引き入れた日本屈指の海城です。
藤堂高虎はその後伊勢の国津に転封され、松平定房が城主となり、以後松平氏が幕末まで230年間統治していました。

創建当時の天守閣は五重の層塔型であったと推測されるようですが、藤堂高虎が伊勢に転封されたと時を同じくして解体され、丹波亀山城へ移築されたと伝えられているようです。以後今治城には天守がおかれなかったようで、現在の天守閣は昭和55年に建てられた五層六階の模擬天守です。
  

天守閣(中央)と山里櫓(左)
 
  
土橋と鉄御門入口
 
鉄御門
三の丸大手側虎口となる城門で、櫓門、多門櫓を含めて平成19年に再建されたものです。
 
鉄御門の枡形から見る武具櫓(中央)と多門櫓(右)
 
お濠側から見る武具櫓(右)と多門櫓(左)
 
二の丸跡から見る天守閣と藤堂高虎の騎馬像
 
天守閣
 
蒼吹の井
二の丸にある井戸で、海城にもかかわらず城内では真水が出る井戸もあったようです。
 
天守閣から見る内濠と山里櫓
濠の幅は三十間(約55m)もあり、北西端に水門があってここから海水を取り入れていたようです。
天守閣から見る武具櫓と鉄御門多門櫓
武具櫓の左にあるお濠に黒い部分がありますがこれが海水の取り入れ口のようです。
 

天守閣から見る御金櫓

天守閣に接続している多門櫓
 
 
城内にある吹揚神社
何故城内にこのような大きな神社があるかというと、市内各地にあった神明宮、座王八幡宮、蛭子宮、厳島明神の四社を明治5年の廃藩の際に城地が社地であったことからこの地に合祀したとのことです。
 
      

山里櫓(平成2年再建)

山里高麗門
 

右から天守閣、山里櫓、武具櫓

石垣と犬走り
 

御金櫓と天守閣
 
    
宇和島城(2012年11月8日撮影
 
戦国時代に土豪家藤監物の居城であった板島丸串城は、豊臣時代の文禄4年に藤堂高虎が入城、五角形の城の縄張を構築すると共に城の改修に当たって慶長6年(1601年)に現在の姿の宇和島城(別名:鶴島城、板島城、丸串城)が完成したといわれています。城は徳川方に与した藤堂高虎が今治城に移封後伊達秀宗(仙台伊達正宗の庶子)が入城、幕末まで伊達氏が藩主でありました。
城の天守閣は昭和の半ばに解体修理されたものの築城当時の姿を残しており重要文化財の指定を受け、現存12天守のひとつに数えられ、日本100名城の83番に選定されています。
 
 
桑折(こおり)長屋門
宇和島城には築城当時7つの城門がおかれたとのことですが、現在残っているのは南側にある上り立ち門だけで、この門は宇和島藩家老の桑折家の長屋門を昭和27年に移築したもので市の文化財に指定されています。
 
  三の丸の石垣
 
武器庫
弘化2年(1845年)に三の丸に建てられたもの現在は資料館と使われています。
 
仮設階段
本丸にはなだらかな登山道がありますが7月に発生した土砂崩れのため通行止めが続いており、このような仮設階段を昇っていかなければなりません。結構急な階段です。
 
本丸
仮設の階段を上りきったところが本丸です。今は石垣しか残っていません。
 
       
天守閣
この天守閣は寛文6年(1666年)頃に伊達宗利が再建したもので3層3階の総塗籠式層塔型で建てられています。
 
上り立ち門
7ヶ所あった城門のうち唯一残っているもので、搦手口からの当城門となります。天守閣と同じ寛文6年ころに造られたもので重要文化財に指定されています。
 
   
      トップページに戻る