ケロアンのグランド・モスクとシディ・サハブ霊廟 〜 スベイトラ遺跡
 
ケロアン郊外の朝
観光3日目、6時45分のモーニングコール前に目が覚め、食事前に朝の散歩で撮ったのが下の4枚の写真です。朝7時過ぎですが、車も人も殆どとおらず静かな朝でした。
  
 
 
 
グランド・モスク(1988年世界文化遺産に登録)

ケロアンのメディナの中にあるこのモスクは、7世紀の半ばに建立されたアフリカ最古のグランド・モスクで、シディ・ウクバ・モスクとも呼ばれています。現在のモスクは、アグラブ朝時代の9世紀に再建されたもので、外観は一見要塞のような感じを受けます。
撮影にはチケット購入が必要です。
 
要塞のような外壁とミナレット  
大理石が敷き詰められた中庭とミナレット
庭は中央に対して傾斜がついており雨が集まるようになっています。
 
礼拝堂と回廊 回廊の列柱はローマ、ビザンチン時代のものを使用している  
礼拝堂の内部 礼拝堂の入口扉の上部は過ぎ板に彫刻が施されています  

シディ・サハブ霊廟

メディナからちょっと離れたところにあるこの霊廟は、7世紀に建てられた聖者アブ・ザマ・エル・ベラウィの霊廟を17世紀にモスク、ミナレット、神学校を併設して現在の姿になったとのことで、マグレブ(アラブ諸国)の中で最も美しい霊廟といわれているようです。撮影にはチケット購入が必要です。
 
入口の上にはアラベスク模様のタイルが施してあります ミナレット  
回廊。なぜか天井はなくテントによる日除けが 回廊にはアラベスク模様のタイルが  
霊廟の入口 霊廟内部の天井  
ケロアンの街並み  
 

スベイトラ遺跡


スベイトラにはケロアンから1時間半くらいで到着しました。スフェイトラ或いはスフェトゥラとも呼ばれており、7世紀のビザンチン時代に造られた巨大なローマ遺跡が残っています。
遺跡の広さはなんと50ヘクタール(15万坪以上)、最盛期には1万人以上の人が暮らしていたとのことですが、イスラム教の布教のため侵攻してきたアラブ兵によりビザンチン時代が終焉したといわれています。
ここを訪れたときも我々のツアーだけで他の観光客はおらず貸切り状態でゆっくり写真が取れました。ただし、撮影チケットが必要です。
 
大浴場
床にはモザイクタイルが残されています。
 
サウナ跡
サウナといっても現在のようなスチーム式ではなく、床を暖めるいわばオンドル式のようなものでしょうか。
 
マッサージ室
マッサージ室まであるなんて、至れり尽くせりですね。
 
冷水浴室
サウナで温まった体を冷やすための冷水浴をここで行っていたようです。
 
アントニウス・ピウスの門
西暦138年に第15代ローマ皇帝に即位したアントニウス・ピウスとその息子に捧げるために西暦139年に造られたものといわれています。
 
セルブス教会 アントニウス・ピウスの門  
神殿群
遺跡の中央、フォーラム(公共広場)の前には3つの神殿が並んで建っています。左からミネルバ、ジュピター、ジュノの神殿です。
 
手前がフォーラムです。  
         
浴室
遺跡を見学していると下のような浴室がいくつも見られます。中には右の写真のようにきれいなモザイクが施されたものも。
 
 
洗礼水盤
結構深いようで階段がついており、周りにはモザイクが施されています。
 
謎の神殿
なぜ謎の神殿と呼ばれるのか、ガイドさんの話をよく聞いていなかったので、帰ってからインターネットで日本語だけでなく、「temple anonyme」で検索しましたが結局謎のままとなりました。
 
この遺跡も他のローマ遺跡同様に水道管が埋設されています。  
謎の神殿側から見る遺跡全体
中央に神殿群が見えます。遺跡全体に咲いている黄色い花は西洋タンポポと名前の判らない花です。
 
水道橋
遺跡の一番奥にあり。スベイトラ川(といっても水は流れていない涸れ川です)に架かる橋です。
 
凱旋門
遺跡にはここから入るのが普通なのでしょうが、なぜかチケット売場は100m以上離れた所にあり、最後に案内されました。
この凱旋門紀元前300年ごろに建てられたものだそうです。
 
 
遺跡を見学し終わったのが午後1時過ぎ、すぐ近くのレストランで昼食後、今日の宿泊地であるトズールへ直行、ホテルに着いたのは午後6時。明日はジャメル砂漠の日の出を見るので早起きしなくちゃ。  
 
 
 
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                          トズール、山岳オアシスの村、大塩湖(ショット・エル・ジョリド)と砂漠の夕日