勝坂遺跡公園

相模原市南区磯部にある勝坂遺跡は、大正15年(1926年)に考古学者の大山柏氏による発掘調査で発見された遺跡で、縄文時代中期の前半頃(約5000年前)の大集落跡で、後に勝坂式土器と名付けられた土器が発見されたところで、昭和49年(1974年)に国の史跡として指定されました。
 
      
   
  勝坂遺跡では、80軒以上の竪穴式住居が発見されていますが、全ての住居が同時に存在していたのではなく、長い期間の間に構築、建て替え、廃絶を繰り返して集落が構成されていたと思われます。
 
 
   
  1号住居
4700年前頃と推定される竪穴式住居を復元したもので、笹葺き屋根で復元されています。用いられている笹は、東京都の伊皿子貝塚遺跡で発見された住居跡を参考にしてアズマネザサ(東根笹)を使用しています。

この笹葺き屋根は、現在でも京都や石川県で伝統技能として継承されているようです。
 
 
   
     
   
     
   
     
   
  2号住居
2号住居も1号住居と同じ時期に造られていますが、縦穴を掘った土を屋根に葺いて利用した土葺住居となっており、保湿性に優れて、石囲いの炉に火を焚いて暖をとっていたと推測されますが、雨漏りと湿気のため雨の多い時期には住むには適していなかったと思われます。
 
 
   
     
   
      
   
 
   
     
   
      
   
     
   
     
   
  生活林
 
     
  旧中村家住宅

勝坂遺跡公園から10分足らずのところに旧中村家住宅があります。
中村家住宅は全国的にも珍しい幕末期の擬洋風住宅で、慶応年間(1865~1868)に建てられたと推測されています。現在残っているのは長屋門と主屋ですが、鎌倉大工の石井甚五郎が約10年かけて建築したと伝えられており、詳細な板図が残されています。
この中村家住宅は、2009年に相模原市に寄付が行われており、市の管理のもとに保存管理が行われています。
 
     
   
  長屋門
長屋門は主屋と同時期の建築で、桁行が63尺(約19m)あります。門の形式は通常の長屋門とあまり変わりはありませんが、用いられている柱は、通常の門の柱が4寸(約12cm)角であるのに対して、ここでは5寸(約15cm)角の柱が用いられています。
 
   
     
   
  主屋
現在の主屋は2階建てですが、建築当初は3階建てで、関東大震災後に3階部分を取り除いて2階建てとしております。
建屋は寄棟造、金属板葺で、1階を整形四間取を基本とし、西側に式台玄関を設け、外壁も和風の要素でまとめられていますが、2階は外壁を海鼠壁とし、軒を曲線の白漆喰で塗り込め、正面に縦長の窓が配されています。
この主屋は2006年に国の登録有形文化財となっています。 
 
 
   
     
   
     
     
      
      
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