黒塚古墳と箸墓古墳
 
 



黒塚古墳

天理市にある黒塚古墳は、古墳時代前期の前方後円墳で、4世紀の初めごろに築造されたと推定されており、墳丘の長さは130m、後円部は72mの径と11mの高さがあり、周濠が設けられています。
1961年(昭和36年)に行われた発掘調査では更生に城郭として利用されたことが判明しています。
1997年(平成9年)から翌年にかけて行われた発掘調査で、後円部で発見された竪穴式の石室からは、三角神獣鏡が33面と画文帯神獣鏡が1面副葬品として埋葬されていたのが発見されています。

 
 
 
 
 
   
  古墳は室町時代後半の戦国時代に砦として利用されて跡が残っています。
 
 
  
 
 
 



天理市立黒塚古墳展示館


展示館には黒塚古墳から出土した三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡そして大量の鉄製刀剣類などが出土したとのことでこれらのレプリカが展示されています。
 
 
 
   
  展示館1階にある黒塚古墳の石室の原寸大模型
 
 
   
 
 


三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)

三角縁神獣鏡は、銅鏡の一種で、縁部の断面が三角形状城となっていることからこの名がついています。
縁を三角にしている理由は凸面鏡であるため、三角縁にすると構造上造りやすい、あるいは、神聖な場所を囲む瑞垣か(みずがき=かきねのこと)をまねたなどの説があるようです。
大きさはいずれも20cmを超えるもので、古墳時代前期の3世紀ころから造られているとのことですが、現在のように機械工具があるわけではないのに、これだけ精巧なものがよく造られたと思いませんか。
   

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  画文帯神獣鏡
画文帯神獣鏡は、中国の後漢代(西暦25~220年)に作られた鏡の一種で、神仙や霊獣の像が主紋様となっており、外側に日輪を従えた車とそれを曳く獣などが描かれたものとのことで、細い線を用いた緻密な浮彫で表現されています。日本には弥生時代の後期から古墳時代に入ってきており、特にここ畿内の古墳から多く出土しています。
 
 
   
  景行天皇 山邉道上稜(やまのべのみちのみささぎ)
箸墓古墳に向かう途中の国道169号線沿いにあったもので、Googleマップから推測して第12代景行天皇の山邉道上稜と判断しましたが、ひょっとしたら間違っているかもしれません。
古墳は、4世紀後半に築造されており、墳丘長300の前方後円墳で全国で第8位の大きさとなっており、埴輪や石枕が出土しています。
 
 
 

箸墓(はしはか)古墳

宮内庁が「大一墓(おおいちのはか)」として治定している箸墓古墳は、3世紀後半に築造された墳丘長が278mある前方後円墳で、第7代孝霊(こうれい)天皇皇女の倭戸迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)とされています。
古墳からは、土師器や壺型の埴輪が出土しています。
 
     
 
 
 
 
 
 
 



万葉歌碑めぐりロマンラリーの歌碑

JR万葉まほろば線(奈良県内の奈良駅から高田駅までの区間を結ぶ桜井線沿線は、日本最古の歌集の万葉集に多く読まれた名所・旧跡が点在していることからを「万葉まほろば線」の愛称で呼ばれているようで桜井線と呼ぶことはほとんどないようです。)沿線で、古道ラリーが開催されていたことがあり、歌碑はそのころに設けられたとのこと。

歌碑には「大坂に継ぎ登れる石群れを手ごしに越さば越しかてむかも」と詠が刻まれています。
詠は日本書紀のあるもので、作者は不詳のようです。
 
 
                     
 
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