京都御苑 その2  
  
 
   



京都御所

平城京から平安遷都が行われた当初の内裏(御所)は、現在の御所のあるところから西にあったとのことで、千本通り付近にはいくつかの史跡が残されていますが、現在の御所は南北朝時代に北朝の内裏となり、南北朝が統一された明徳3年(1392年)に正式な御所となったものです。
御所は大政奉還後の明治2年(1869年)に東京に移るまで存続していました。
御所は周囲を築地塀で囲まれており、東西約250m、南北約450mの南北に長い長方形で、面積は約11万㎡あります。

御所は通年一般公開されており、月曜日及び宮内庁の行事予定日以外は事前申し込み不要で参観することができますが、2年前に訪れたときは突然の臨時休館。今回リベンジでの参観です。
京都御所は仙洞御所と違って、説明員はついておらず、手渡された御所の案内と参観順路に従って自由に散策しながら写真を撮ることができます。

右の写真は東南側から見た築地塀です。
 
   
 
建礼門
御所の南側にあり正門となる門で、桧皮葺、切妻屋根造りの四脚門で、当時は即位礼などの重要な儀式の際に開門されていました。現在では、天皇皇后陛下および外国元首などが訪れる際に用いられています。(左は御所の外側から、右は内側から撮影)
 
     
 
建春門
御所の東側にある門で、桧皮葺、向唐破風の屋根を持つ四脚門で、別名に「外記門」、「宮東僻仗門」、「左衛門陣」があります。(左は御所の外側から、右は内側から撮影)
 
   




御車寄(おくるまよせ)

公卿(くぎょう)や高位の貴族たちが参内し、儀式への参列や天皇との対面の際に使用する玄関で、ここから廊下をとおって諸大夫(しょだいぶ)の間、清涼殿、小御所へと行きます。

 
   
 
諸大夫の間
御所に参内した公家や将軍家の使者の控えの間として用いられていたもので、身分に応じて使用できる部屋が決まっており、部屋の襖に描かれた絵に因んで「虎の間」、「鶴の間」、桜の間」と呼ばれています。上右は「鶴の間」の襖絵です。ガラス越しなので少し見にくいですが、鶴が描かれています。
因みに諸大夫とは、位階が四位から五位以下の地下人(じげにん)、今でいう役人のことをいい、清涼殿などの部屋には入れず、実際に御所内の仕事を担う人たちでした。
 
       




新御車寄

大正天皇が即位される際の玄関として、大正4年(1915年)に新たに設けられたもので、馬車での行幸に対応する形で造られています。
 
   
   
 
左から月華門、承明門、日華門。いずれも紫宸殿への入り口となる門で、月華門は西の入り口で「西の中門」ともいい、日華門は東の入り口となり「東の中門」とも呼ばれています。
中央の承明門は、御所の正門となる建礼門に対応する形で南側に設けられています。
 
   
 



紫宸殿

紫宸殿はかつての内裏の正殿で、入母屋造り檜皮葺で、間口33m、奥行き23mある大きさです。紫宸殿の前の向かって左には工事中でよく見えませんが「右近の橘」、向かって右には「左近の桜」が植えられています。
こちらから見ると名前が逆に付けられているように感じますが、「左」、「右」は紫宸殿側から見たときの名前の付け方です。
中央部には「紫宸殿」と書かれた扁額が掲げられています。(右の写真)
 
 
 




春興殿

平安京の内裏の一つで、神鏡や武具などが納められていました。
現在の春興殿は、大正4年(1915年)の大正天皇の即位礼の際に造営されたもので、春秋にはこの前庭において宮廷文化の催しが開催され、雅楽や蹴鞠が披露されるようです。
 
 
 
清涼殿

平安時代の中期に天皇の御殿として使われていたところで、檜皮葺の入母屋造りとなっており、東側が正面となっています。
 
     
 
昼御座(ひのおまし)
「ひのござ」とも読み、清涼殿内で天皇の昼間の居所となっていました。
滝口
清涼殿警護の武者が詰めているところで、平将門もこの武者となっていました。
 
 
 
荒海障子(あらうみのしょうじ)
障子の名がついていますが現在の襖のことを指しており、布張りの襖で、表側(上左)は墨で荒海の中島に手長人と足長人のいる絵が描かれており、裏側(上右)は宇治の網代で氷魚(ひお)を探す絵が描かれています。
 
   
 
小御所
小御所は室町時代には将軍が参内した際に休息したり衣装を改める場所として用いられていましたが、江戸時代に入ると天皇が幕府の使者や所司代を謁見する場所として用いられました。建物は昭和29年(1954年)に火災で焼失したため、同33年(1958年)に復元されたものです。
蹴鞠の庭
小御所と学問所の間にある四角い庭で、「鞠懸」とも呼ばれており、貴人たちがこの庭で蹴鞠を行って楽しんでいたとのことです。
 
 
   
 
御池庭(左)と欅橋(右)
小御所の前に広がる回遊式の庭園で、欅橋(右の写真)は太鼓橋となっており、造られた当初は橋桁も欅の木が用いられていましたが、現在は花崗岩が用いられています。御所を訪れたイギリスのエリザベス女王がこの橋の上から鯉に餌を与えたことで知られています。
 
   
 
御内庭
曲折した遣り水を流して,土橋や石橋を架けた趣向を凝らした庭で,奥に茶室があります。
 
   




御三間(おみま)

御常御殿の隣にあり、上段、中段、下段の三室からなり、涅槃会、茅輪、七夕、盂蘭盆などの行事がここで行われていました。
 
   
   
 
上の写真は御三間の東東御縁座敷の杉戸に描かれたもので、左が原在照が描いた「陸王納素利」、中央が岡本亮彦が描いた「曲水(宴)」そして右側が岡本亮彦が描いた「蹴鞠」です。  
   




京都迎賓館


京都迎賓館は、京都御苑の公卿の屋敷があったところで、京都御所の東側にあり、日本の歴史と文化を紹介することに相応しいこの京都の地で、海外からの賓客をおもてなしする目的で設けられることとなり、開館したのは平成17年(2005年)と歴史はそんなに古くはありません。
一般の参観は、外国からの賓客の接遇がある場合は入場できませんが、それ以外の日は参観料を支払って入場することができます。
右は正門ですが、迎賓館に入場する正門は別なところにあります。
 
        
 
   
 
   
   
     トップページに戻る             京都街歩き その2を見る