リスボン街歩き
 

ツアー2日目の今日の予定は午前中にジェロニモス修道院、ベレンの塔、発見のモニュメントを観光して、午後は自由行動となっていましたが、ジェロニモス修道院への入場が午後3時からに変更となったため、午前中が自由行動に変更です。
ホテル出発が午前9時とのことで、いつものようにホテル周辺の朝の散歩にとりあえず出かけることに。
 
     
マルケス・デ・ポンバル広場
(Praça do Marquês de Pombal)
ポンバル侯爵広場とも呼ばれている広場で、ホテルから歩いて数分のところにあり、ロータリーの中央にポンバル侯爵の像があります。
ポンバル侯爵は、正式にはセバスティアン・デ・カルヴァーリョ・イ・メロという長い名前のポルトガルの政治家で、1755年に宰相に就任した後に、財政の改革や工業化を推進、同年発生したリスボン大地震によって壊滅的な打撃を受けた町の再建に努力した人です。
ボンバルは、ジョゼ1世によって侯爵に任じられましたが、その独裁的な姿勢により反対する人も多く、ジョゼ1世の死後はその任を解かれ、1782年に82歳で所有する荘園で静かに亡くなったということです。
   
 
   
エドゥアルド7世公園(Parque Eduardo Ⅶ)
この公園は、1902年にリスボンを訪れた、イギリスのエドワード7世を記念して造られたフランス式庭園の公園です。
ポンバル侯爵広場から続く斜面を利用して造られており、いちばん上に上がるととポンバル侯爵広場、そして奥にテージョ川が見えます。画面右側の林のところは植物園となっています。
   
   
リスボン刑務所
エドゥアルド7世公園のいちばん上に上がったところ、道路越しに見える門が宮殿の入口のような建物があります。
とりあえず写真を撮って帰り調べたところ刑務所と判明、中には約900名の受刑者が服役しています。普通刑務所というと町の中心部より離れたところにありますけどね。
ネットで調べると、どうやら19世紀半ばに建てられたもののようです。
   
   
カルロス・ロペス・パビリオン(Carlos Lopez Pavllion
エドゥアルド7世公園から見えるところにあるこの建物、1932年に、ブラジル独立100周年を記念して、リオデジャネイロの国際展示会のために建設され、その後この地に移設されたものです。
スポーツイベントなどが行われ、1984年にはロサンゼルスのオリンピックで金メダルを獲ったマラソン選手カルロス・ロペスに因んでこの名がつけられました。
建物はその後荒廃し長いことそのままとなっていましたが、ようやく改装が終わったとのことで、正面にあるジョルジェ・コラソによる見事なアズレージョが見どころとなっています。
   
   
   
カモンイスが書いた大航海時代の叙事詩「ウズ・ルジアダス」がテーマのアズレージョ、 左はポセイドンが操る海馬、右は南十字星に導かれる船  
     
   
オーリッケの戦い    正面から建物全体を撮ろうとしましたが、両垣の植木が邪魔をしているので中央のみの撮影です。   アルジュバロータの戦い
 
     
   
ジャカランダの花が今を盛りと咲き乱れています。(上左はポンバル侯爵広場付近、上右はカスチーリョ通りで撮影)  
     
9時にホテルを全員で出発し、リベイラ市場のところで下車。ここで一時解散し午後2時45分まで自由行動に。
前回訪れた時はベレン地区の観光を行い、その後はバスが市内をぐるぐる走るだけ。
同行した女房も不満たらたらというほど市内の観光はほとんど行っておらず、私は事前に調べてきたサン・ジョルジェ城まで行ってサンタ・ジュスタのリフトに戻り、リベイラ市場に帰る予定で単独行動することに。
リベイラ市場は10時オープン、戻ってきてから中の写真を撮ることにして、外観だけパチリと写して
サン・ジョルジェ城を目指して歩きはじめます。
   
     
リスボン市庁舎
リベイラ市場のある7月24日通り(Av. 24 de Julho)からアルセルナ通りに入って数分で市庁舎広場に到着。この近辺は裁判所や政府機関のあるところでリスボンの中心部となっているようです。
   
   
市庁舎を過ぎるとコメルシオ広場に出ます。
コメルシオ(Comércio)とはポルトガル語で「貿易」とのことであり、それまで「宮殿広場」と呼ばれてた広場にこの名がついたのは、リスボン大地震によって、それまでこの地にあったリベイラ宮殿や貿易関係の建物が津波と火災で瓦礫の山と化し、ポンバル候の命によって繁栄時代のポルトガルを取り戻すための都市再建が行われた後のことです。
広場への入口には勝利のアーチ(Arco da Rua Augusta)と呼ばれる1875年に設けられた凱旋門があり、アーチの上部には、栄光の像と呼ばれるヴィリアトゥス、ヴァスコ・ダ・ガマやヌノ・アルヴァレス・ペレイラ、ポンバル侯の像が立っています。

ヴィリアトゥスは、紀元前150年ごろに起きたルシタニア戦争で、イベリア半島西部のローマ人支配を取り戻すべく戦った人です。
ヌノ・アルヴァレス・ペレイラは、1385年に起きたジョアン1世とカスティーリャ王国との間で起きたポルトガル王を巡るアルジュバロータの戦いで、トマールにおいてカスティーリャ軍と戦ったポルトガルの元帥です。
 
   
 
     
勝利のアーチを抜けて広場に入ると、170m四方という広大な広場の中央に、ジョアン1世の騎馬像があり、その先はテージョ川となっています。    
 
     
坂の街リスボンといわれるほど坂が多いリスボンの街中をレトロなトラムが走っています。添乗員さんから1日乗車券をもらっていますが、写真を撮るためもっぱら歩くことに。
このトラムはリスボンで最も有名な28番線です。
   
     
リスボン大聖堂(Sé de Lisboa)
急坂を上ってゆくと正面にリスボン大聖堂が見えてきます。
正式な名称をサンタ・マリア・マイオール・デ・リシュボア大聖堂(Santa Maria Maior de Lisboa)というこの教会は、リスボン市内で一番古い教会で、建設が始まったのは1147年。1310年頃に後期ロマネスク様式で最初の建設が完成しました。
完成後の大聖堂は、地震の多いリスボンとのことで幾たびか地震の被害にあい、1755年のリスボン大地震で礼拝堂が崩壊、火災の発生もあって廃墟と化したようですが、20世紀初頭に現在の姿に再建修復されています。
     
 
     
大聖堂からリモエイロ通りの坂を上ってゆくとブーゲンビリアの大きな木のところに出ました。地図ではジュ―リオ・デ・カスチーリョ庭園(Jardim Júlio de Castilho)となっていますが、どちらかといえば広場です。
広場にはアズレージョで造られたアルファマ地区の案内図があります。
ここはアルファマ地区の絶景ポイントとなっているようで、多くの人が来ています。
アルファマ地区は12年前に訪れていますが、ここから坂を下ってまた上るのは結構きつそうなので、写真だけを撮ってパスすることに。
   
 
     
   
ジュ―リオ・デ・カスチーリョ庭園から見るアルファマ地区  
     
サン・ジョルジェ城(Castelo de São Jorge)
写真を撮りながら約1時間で、サン・ジョルジェ城に到着です。
アルファマ地区の丘の上に建てられているこの城の起源は、紀元前2世紀ころといわれ、紀元前6世紀ころにはフェニキア人、古代ギリシャ人、ケルト人、イベリア人などが占領し、後に古代ローマ人やムーア人が支配していたようです。
レコンキスタによってアフォンソ1世がリスボンを取り戻したのちの12世紀半ばには、リスボンはポルトガル王国の首都となり、13世紀の半ばには王宮となってアルカソヴァ城と呼ばれ、14世紀後半にはフェルナンド1世によって77もの塔が設けられました。
16世紀の初頭にマヌエル1世によってテージョ川沿いにリベイラ宮殿が設けられると、城はその存在意義が低くなり、セバスチャン王が自らの住まいとすべく再建を命じたものの、王の死後は兵舎や監獄として利用されることとなりました。
城はリスボン大地震で大きな被害を受け、20世紀半ばまで放置されましたが、現在は一部修復され公園として開放されています。
1846年の日付があるこの城門は、マリア2世によって設けられたものです。

   
    
入口で入場料を払おうとしたら(65歳以上はシルバー割引があるとなっていました。割引すると8.5€が5€となりまが、身分証明書の提示を求められます。運転免許証は日本語で表記されているので、奥にしまってあるパスポートをを引っ張り出して5€で入場。
入ったすぐのところはアルマス広場といい、マニュエル1世の石像(左)、アフォンソ1世のブロンズ像(中央)が置かれていて、テージョ川を望む城壁には古い大砲が何門も置かれています 
     
 
     
   
サン・ジョルジェ城は高台にあるので、リスボン市街を眺めるには絶好のポイントです。
左の写真では左端にはコメルシオ広場があり、テージョ川に架かる4月25日橋が見えます。 また右の写真の中央左寄りにはサンタ・ジュスタのリフト、そして右側にはフィゲイラ広場が見えます。
 
   
     
 
城内の様子  
   
お城でのんびりしていると集合時間に間に合わなくなりそうです。サンタ・ジュスタのリフトの写真を撮らなければなりません。  
   
サン・ジョルジェ城から約20分でフィゲイラ広場(:Praça da Figueira)に到着です。
この広場は、リスボンの中心部バイシャ・ボンバリーナ地区(バイシャ地区とも)にあり、もともとトードス・オス・サントス王立病院があったところで、リスボン大地震の被害を受けた後、広さ8000㎡という巨大な市場となっていましたが、1949年に廃止され広大な広場となり、中央にジョアン1世の騎馬像が配されました。
   
          
ロシオ広場(Praça de Rossio)
フィゲイラ市場のすぐそばの西側にあり、典型的なポルトガル風のモザイク風の石畳が全面に施されたこの広場は、15世紀半ばには隣に建てられていたエスタウス宮殿が宗教裁判所となり、その公開処刑の場として使われていました。
正面にある建物は、1836年の大火で崩壊したエスタウス宮殿の跡に建てられたマリア2世国立劇場です。
広場には後にブラジル帝国の初代国王となったペドロ4世の像があり、像を建立した1874年に広場の名前を「ペドロ4世広場」としましたが、当時の市民が受けれなかったといわれています。
現在では、ロシオ広場よりも通称の「ペドロ4世広場(Praça de D. Pedro IV)」の名でと呼ばれています
   
 
     
ロシオ駅
ロシオ広場に面して建つこの駅は、1890年の開業で、16世紀初期のポルトガルのマヌエル様式のファサードで、中央部は蹄鉄型の入口となっています。
開業以来ポルトガル鉄道のリスボンでのターミナル駅となっていましたが、現在は近郊のシントラへの発着駅となっています。
   
     
カルモ修道院(Convento da Ordem do Carmo)
ロシオ広場を見下ろす丘の上のシアード地区にあるこの修道院、ポルトガルの騎士ヌーノ・アルヴァレス・ペレイラにより、1389年にカルメル会派の修道院として創建されました。
1755年のリスボン大地震でそのほとんどが崩壊、一時期は軍の施設として利用されるも再建は行われずに廃墟となっていました。現在は、、教会は博物館として、修道院はリスボン警察隊が使用しています。中も見れるようですが、あいにくとイベントで使用のため入れず外観だけの撮影。
   
 
     
サンタ・ジュスタのリフト(Elevador de Santa Justa)
「カルモのリフト」と呼ばれているこのリフト(エレベータ)は、カルモ修道院のある高台とバイシャ・ポンバリーナを連絡しているリスボンの観光名所のひとつです。
リフトの高さは約45メートルって1902年に完成しており、その外観からパリのエッフェル塔をエッフェル塔を設計したエッフェルによる建設と間違えられることも多いようですが、ラウル・メスニエル・デ・ポンサルドの設計によるものです。
リフトの最上部はテラスとなっていて、螺旋階段を使って上に上がるとサン・ジョルジェ城やロシオ広場、バイシャ地区そしてテージョ川までが眺望できる絶景スポットで、利用する観光客で賑わっています。
   
 
     
   
サンタ・ジュスタのリフトのテラスからの眺望  
     
リフトの下にあるレストランで、リフトを眺めながら遅めの昼食をとってそろそろ集合場所のリベイラ市場に戻ります。  
     
リベイラ市場に到着し、集合まで少し時間があるので中に入って見ることに。
カイス・ド・ソドレ地区にあるこの市場は、1892年にオープンしたというから、110年以上の歴史があるリスボン市民の台所です。
野菜や肉など豊富な生鮮食品が揃うだけでなく、巨大なフードマーケットとなっていて地元の人たちだけでなく観光客で賑わっています。
   
 
     

サン・ジョルジェ城の孔雀
 
 
       
午後2時45分、全員集合してジェロニモス修道院に向けて出発です。  
     
     
     トップページに戻る     ポルトガルその2に戻る      ェロニモス修道院とベレンの塔を見る