ドイツ騎士団のマルボルク城
 
グダンスクを出発してから約1時間半ヴィスワ川沿いに建つ大きな城が見えてきます。この城はドイツ騎士団がバルト海沿岸地方征服の拠点として1274年に建設したもので、21ha(東京ドームにして4.5個分)の広さがあるといわれるほど大きなヨーロッパ最大の煉瓦造りの城です。
当初ドイツ騎士団はポーランド王から対立していたブランデンブルク人に対抗するため傭兵されたものの、次第に勢力を増しついにはポーランド王国との間に長い戦闘状態が続くこととなり1457年までその支配が続いたとのことで゛す。ドイツ騎士団が敗れた後にはポーランド王国の所有する城として城の増築が行われこのような大きさになったようです。
城は第2次世界大戦の末期に行われたロシア軍とドイツ軍の戦闘により激しく破壊されましたが、ポーランド市民の手で修復された現在の姿に復元されたとのことです。
なお、この城は1997年に「マルボルクのドイツ騎士団の城」としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。

注:内部の撮影には入場料とは別に15ズロティの撮影料が必要です。 (お金を支払うとワッペンが配られますので体の見える位置に貼り付けます。)
 
 

ヴィスワ川の対岸から見るマルボルク城(あいにくの曇り空で色が冴えないのが残念です。)

ヴィスワ川に架かる木橋から撮影
 
駐車場側から撮影
 
  落とし格子のある城門
守りを堅固とするためかひとつ城門をくぐると更に城門が。
おまけに落とし格子までついていて敵がこの門の間に閉じ込められると右写真の狭間のようなところから上から矢を射掛けたりしたのでしょうか。
 
       
中庭で見るマルボルク城
城は上、中、下の3層構造となっており、上城(高城)が修道院、団長室や貴賓室となっていて団長以下60人近くの高官が居住し中将と下城(低城)には800人もの兵士が居住、下城が馬小屋、武器庫及び倉庫等として利用されていたとのこと。この中庭は当時の中城の位置になるようです。
 
 
再現されたキッチン
ここでは一度に数百人分の食事が用意されていたとか。
 
騎士用のダイニングルーム
ここは冬用のダイニングルームで床には温風が吹き出す仕組み(上右の写真)今でいうセントラルヒーティングが施されており、下の部屋で熱した温風が出てくるようにしてあります。夏の部屋はこの仕組みがなされていないとのこと。
 
当時のトイレの再現
居住区から結構離れたところにあるトイレ、昔なじみの「ポットン式」のトイレです。
 
中庭にある井戸
向こう側に大きな滑車がついていますのでこれを回して水をくみ上げていたようです。
上にはペリカンの像がありますが、ペリカンは自分の血肉を子供に与えて育てるという伝説あることから備え付けたのではないかということです。
 
     
城の中にある門を抜けると跳ね橋で濠の上を渡り次の門があります。
 
城内の大聖堂
お城の修復は行われたものの激しく破壊された大聖堂の修復は終わっていません。現在修復を行おうという動きがあるようです。
 
説教壇 床のモザイク模様
 
 

ヴィスワ川にかかる橋(人と自転車だけで車は通れません。)
    マルボルク城の地図
   
午後4時15分にお城を出発、今日の宿のあるトルンに向かいます。トルンまでは約140km約2時間の予定です。  
   
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