丸亀城(2012年11月7日撮影)

香川県丸亀市の中心部にあり、日本100名城の78番に選定されている丸亀城、別名、亀山城、蓬莱城とも呼ばれており、標高66mの亀山の廻りを濠で囲む輪郭式の平山城です。
城は室町時代の初期に、奈良元保この地に砦が築かれたのがはじまりとされており、豊臣時代の慶長2年(1597年)に生駒親正が、高松城の支城として本格的な城を築き始め慶長7年(1602年)に現在の城郭が完成しました。元和元年に徳川幕府により一国一城令が発せられ廃城の危機にさらされるも、山の周囲を木々で覆い隠し破却を免れたようです。
その後生駒氏はお家騒動のため出羽矢島に転封、肥後富岡より山崎家治が入封して丸亀藩が立藩しました。しかし山崎氏は無嫡子のためお家断絶となり、京極氏が入封して明治まで京極氏の居城となりました。
 
  大手門
築城当時の大手門は反対側にある搦め手門側にあったようですが万治3年(1660年)に海側のこの地に変更したとのことです。
写真はお濠側から見る大手二の門と大手一の門で、当時の姿をとどめており、国の重要文化財に指定されています。
一の門では藩士が時を知らせる太鼓をたたいたことから「太鼓門」とも呼ばれるようで、この時太鼓は平成18年6月10日の「時の記念日」から復活し、九つ(昼正午)を知らせる音が鳴り響くとのことです。
 
        

枡形から見る大手二の門

枡形から見る大手一の門
  
御殿表門
薬医門造りという城の門としては珍しい造りのこの門は玄関前御門或いは玄関先御門とも呼ばれ旧藩主居館の表門であったようです。
         
   
見返り坂
大手一の門を過ぎてから本丸への道となりますが急坂となります。この坂途中で右に90度曲がっていて先が見えません。左が大手門側の坂道、この坂道を登って右を見るとまた急坂(中央の写真)です。時々立ち止まって後ろを振り返ることから「見返り坂」と呼ばれるようになったようですが、このきつい急坂が無理だという人は「搦め手門」側から登られるといいですよ。右の写真は扇方の曲線で造られた石垣で、天守閣まで4層の石垣があり60mにもなるようです。
    
高浜虚子の句碑
見返り坂の曲がり角のところにある句碑で昭和24年の秋にこの地を訪れた際に詠んだ句とのことです。碑には「稲むしろあり飯の山あり昔今」とあります。
 
 
天守閣
完成後400年を経た天守閣は国の重要文化財に指定されており、千鳥破風や唐破風が施された三層三階の建物で現存する三重天守としては最も小さいものです。また本丸からは丸亀平野、讃岐富士(正式には飯野山)そして瀬戸内海が一望できる眺望のすばらしいところです。
 
  
 
本丸から見る丸亀市街。瀬戸内海そして本四連絡橋(瀬戸中央自動車道)が遠くに望めます。  
 

三の丸

三の丸の石垣
  

栃の木御門跡

搦め手門側から見る天守閣
 
  
   
 
 
 
   
     トップページに戻る        高松城と栗林公園を見る