水元公園(2020.12.08撮影)

葛飾区の北部、埼玉県との境にある都立公園の水元公園は、都内23区内では最大規模の広さのある公園で、小合溜(こあいだめと読み、「小合溜井(こあいためい)」とも呼ばれます。)と呼ばれる用水を確保するために河川を堰き止めて造られた、水位面積の多い水郷公園となっています。
埼玉県側には三郷市側にみさと公園がありますが、都県境の境界線を巡って葛飾区と三郷市が対立して県興味かくて区域があるようです。
公園が開園したのは昭和40年(1965年)で、昭和43年(1968年)には明治百年事業の一環として、明治百年記念公園の指定を受けています。
園内は無料(一部施設の利用は有料)で入ることができ、桜の花見や花菖蒲、コウホネ、スイレンといた水生植物、秋はポプラ並木やメタセコイアの紅葉を見る人たち、そして、水辺に集う鳥の撮影をする人たち、フナやコイの釣りを楽しむ人が訪れるところです。
注:明治百年記念公園は、当時の建設省が指定したもので、山口県の維新百年記念公園、国営武蔵丘陵森林公園、群馬の森、佐賀県立森林公園、明治の森高尾国定公園、明治の森箕面国定公園など全国に10か所あります。

 
 
   
  水元小合溜(みずもとこあいためい)
小合溜では、フナやコイが釣れるようで大勢の太公望が竿を垂らしています。
 
 
   
  水元大橋は小合溜に架かる歩行者専用の橋です。
左にある像は、長崎県生まれの北村西望作の「乙女」の像です。
 
   
     
   
  駐車場にあるモミジバフウ(紅葉葉楓)は紅葉真っ盛りです。
 
 
 
 
メタセコイア
「生きた化石」とも呼ばれるメタセコイアは、ヒノキ科またはスギ科に属する落葉樹で、アケボノスギ(曙杉)またはイチイヒノキ(一位檜)とも呼ばれています。当初は北半球で化石として発見されただけで、絶滅した植物と見られていましたが、中国で現存していることが発見され、昭和24年(1949年)に政府と皇室が挿し木と種子を譲り受けて育成。その後日本国内の研究機関や自治体に配布され、全国各地の公園、並木道に植樹されました。
紅葉はモミジのように真っ赤ではなくもまたイチョウのように黄色ではありません。
水元公園内にはメタセコイアの森に約1500本があり、紅葉の時期にはこれを見るために訪れる人も少なくありません。

 
 
   
   
メタセコイアの森
 
 
 
 
 
     
   
     
   
   
   
  メタセコイアは春先に花が開花し、紅葉が始まると球果をつけます。
 
 
 


「カラスの行水」って言葉聴いたことがありますけど今まで見たことがありませんでした。
園内の小合溜の浅瀬では時々こうしてカラスが水浴びしています。水浴びしている時間は短くことわざの通りです。
でも人間のような入浴ではなく、羽根についた埃や寄生虫を落とすために水浴びしているんです。ですから冬でもこうやって水浴びしています。
そういえば、前に横浜公園にある池でスズメが水浴びしているのを見かけましたが、やはり羽根についた虫をとるために水浴びしているとのことです。
 
 
     
 
 


伝五郎の松の碑(右の写真)と後継樹(下の写真)

「伝五郎の松」は幹回りが3m以上ある樹齢200年を超す老木とのことでしたが、マツノザイセンチュウ病(マツ材線虫病)というマツ属を中心としたマツ科樹木に発生する感染症に罹り、枯れてしまったため、平成27年(2015年)の公園開園50周年記念祭に時に、その種子からその後継樹をしたとのことです。


注:なぜ「伝五郎の松」という名がついたのか調べましたが、どこにも出てきませんでした。
 
     
 
   
     
 



石原慎太郎の碑

石原慎太郎氏が、都知事時代の平成21年(2009年)に視察に訪れた際「東京にこんなに広い公園があるとは驚いた」と述べられたそうで、碑には「水元公園 水とまほろば 水元うるわし」と刻まれています
 
      
 

松浦の鐘

公園の東側のさくら堤にあるこの梵鐘、松浦と書いて「まつら」と読み、宝暦7年(1757年)に鋳造されて、村の領主であった松浦家の菩提寺にあった鐘です。
明治時代の廃仏毀釈により寺が廃寺となり、村の所有となって非常用の早鐘として用いられ、太平洋戦争中の金属供出を免れており、現在は区の有形文化財となっています。
 
 
 
 
 
バス停の名が「しばられ地蔵」となっています。立ち寄ってみることに、寺の名前は業平山南蔵院です。 
 
 
 

 
  しばられ地蔵さんの由来は、
8代将軍徳川吉宗の時代、名奉行とうたわれた大岡越前守忠相が、寺の境内で居眠りしたため反物を盗まれた呉服屋の手代の訴えに、「寺の門前に立っているにもかかわらず泥棒の所業を見過ごすとは、地蔵も同罪である。」とし、地蔵は縄でぐるぐるに縛られ市中引き回しの刑に処せられました。
その後のお裁きを見ようと物見高い野次馬が奉行所の境内になだれ込みましたが、越前守が「天下のお白州に乱入する破不届き至極であ。反物一反の過料申しつける。と裁いたため多くの反物が出され、手代がこれを調べたところ盗まれた反物が見つかり、江戸市中を荒らしまわっていた盗賊一味が御用となりました。
越前守は地蔵様の霊験に感謝してお堂を建立し、縄解き供養を行ったとされているのがその由来です。
現在は、その名の通り願掛けする人が縄で地蔵さんを縛り、願いが叶ったら縄と記するという風習があったようですけど、自分が縛った縄でなくてもいいんですかね。
なお、毎年年末に住職による縄解き供養が行われています。
 
 
   
  出世牛
牛に跨ると出世するとありますが、これを知っていたら私も現役時代ここに来て跨っていたものを。そうすればもう少し出世したかもしれませんね。
 
 
  水元公園の北西端に古い閘門橋というのがあり、7つ先の「大場川」のバス停で降りてみました。
 
 
   
  閘門橋は、正式には弐郷半領猿又閘門弐郷半領猿又閘門(にごうはんりょうさるまたこうもん)といい、埼玉県との県境を流れる大場川に架かる閘門で、明治42年(1909年)に埼玉県の弐郷半領用悪水路普通水利組合によって架橋された上路式煉瓦アーチ橋で、都内唯一の煉瓦アーチ橋です。
橋は、平成19年(2007年)に「東京都葛飾区の赤煉瓦建造物」として近代化産業遺産に、また、平成25年(2013年)には土木学会により選奨土木遺産に認定されています。
 
 
   
     
   
     
   
   
 
 
 
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