モスタル
 
 
  サラエボからモスタルまでドリナ川沿いをバスは走ります。     途中トイレ休憩で寄ったレストランでは水車を利用してヒツジの丸焼きを調理しています。あたり一面おいしそうなにおいが充満しています。
 
     
途中で食事をとりモスタルの町に入ったのは午後1時半ごろ、モスタルの観光は後にして郊外にあるブラガイを先に観光します。    
    
モスタルの町中から30分ほどでブラガイに到着します。バスを降りて川沿いに歩いて約15分、着いたところがブラ川の源流です。源流は洞窟の奥600mまでさかのぼるようで、ゴムボートに乗って出かける観光客もいましたがそれほど奥まではいってないようです。川はここから10kmほど下流でネレトバ川と合流します。  
   
      
  ブラガイの要塞
丘の上にあるこの要塞今は廃墟となっているようですが、オスマン帝国時代に築かれたもののようです。
 
     
午後3時半過ぎモスタルのホテルに到着、チェックインして荷物を置いてからモスタル市内の観光です。今回はできるだけ前回と違うところを見て回ります。   
     
  宿泊するホテルを出てネレトバ川を渡ったころにあるのはホテル(左側)とチトー大統領が別荘として使っていたところとか、ボスニア紛争で廃墟となりそのまま置かれています。  
     
   カラジョズ・ベゴヴァ・モスク
1557年にヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋を設計したミマール・スイナンによって建てられたモスクで、ボスニアを代表する建築物と称されています。
      モスクの反対側の建物に掲げられたボスニア国旗を見ていたら、あちこちに銃弾の跡が残っていました。
 
      
   
上左は元デパート、右は集合住宅、いずれもボスニア紛争で銃撃を受け、壁に穴が開いたままとなっています。   
     
  スタリ・モスト
前回撮影できなかったネレトバ川の河原から撮影
 
 
     
  クリヴァ・チュプリヤ(Kriva Ćuprija)
ネレトバ川の支流にあたるラドボルジャ川に架かる橋で「曲がった橋(Crooked Bridge)」が付けられており、1558年に架けられており、スタリ・モストより数年早い建設です。この橋もスタリ・モスト同様にボスニア紛争で破壊され、ユネスコによって再建計画が進むルクセンブルク大公の援助もあって2001年に再建が完成したもので、世界遺産となってます。
 
     
一度ホテルに戻り夕食後夜景を撮りに  
   
バザールも殆どの店が夕方5時過ぎに店を閉めるので、観光客も少なくひっそりとしています。         
 
     
   
     
  モスタルの町の中を日の丸をつけた黄色いバスが走っています。
復興支援で送られたもので30台ほどが市内の路線バスとして運航しており、日の丸の下には「From the People Japan」と書かれています。
 
        
 
 
        
        
        
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