能登の旅 その2

禄剛埼(ろっこうさき)
能登半島の最先端にある禄剛崎、日本海航路の要所として古くから重要視されていたところで、海難事故も多かったことから、航路を照らすのろし(狼煙)が古くから上げられて、岬に灯台が設置されるまで続けられ、禄剛崎のある珠洲市にはその名残から狼煙町、狼煙港 狼煙海岸といった地名が残されいます。
 
能登瓦の家並み
屋根瓦が黒光りしていますが、能登地方を回っているとほとんどの家の屋根瓦がこの能登瓦を使用しています。釉薬を用いて焼き上げており、耐寒性に優れていて屋根の上に積もった雪が、早く解けて滑り落ちやすいからといわれています。
 




海風の灯のモニュメント

禄剛崎灯台に向かう途中の広場に置かれており、最上部の火焔を表す彫り物は、この地が狼煙で沖を通る船に合図の煙を上げたと伝えられているところから「能登の火」を意味しているとのことです。、
      
 



山口誓子の句碑

俳人山口誓子が、1961年(昭和36年)にこの地を訪れた際に詠んだ、「ひぐらしが 鳴く奥能登の ゆきどまり」の句が刻まれています。
       
 



禄剛崎灯台

能登半島最先端に位置する禄剛崎の崖上約50mのところに設置された灯台は、「狼煙の燈台」の別名で呼ばれている白亜の灯台で、1883年(明治16年)に初点灯され、今なお現役で利用されており、建築後100年を経過していることから、景観を損ねない回収余保存方法がとられる「保存灯台」として指定されており、「日本の灯台50選」にも選ばれています。
 
 
灯台のそばから海岸を見下ろすと、「千畳敷」とよばれる海食棚があります。
 
「日本列島ここが中心」の碑
国土地理院が認定した「日本の重心」の位置は富山県の沖となりますが、その位置に最も近い陸地がここ禄剛埼とのことで石碑が設けられています。
 
道の駅すず塩田村

万葉時代ごろから始められた「揚げ浜式」の塩づくりは、江戸時代には入浜式の塩づくりに移り変わりましたが、ここ珠洲では日本で唯一「揚げ浜式」の方法で塩づくりが行われ、国の重要無形文化財に指定されていて、塩づくりの状況を見学あるいは体験できるところです。冬のこの時期は行われていませんので、どのようなものなのか係員が説明してくれました。
 
塩田の風景
塩田は「1枚」、「2枚」と呼ぶようですが、塩田1枚の面積は165㎡(約50坪)で、約600ℓの海水を撒かなければなりません。
海岸で「かえ桶」を用いて汲んだ海水を「引桶(しこけ)」に溜め、打桶(おちょけ)に汲んで撒きます。
かえ桶には約36ℓの海水が入りますが、この桶を2つ肩荷棒(にないぼう)で担いで引桶に溜めます。引桶には約800ℓ入りますので、10回は海岸との間を往復しなければなりません。肩荷棒、桶そして水を合わせた重さは100kg近くなりますので、かなりな重労働です。
引桶に海水がたまったら打桶で潮撒きをしますが、一回で撒ける海水はせいぜい36ℓくらいとのことですので塩田1枚に撒くためには40分近くかかるそうです。
    
肩荷棒とかえ桶
 

 
打桶
 
 
潮撒き
打桶を用いて塩田に撒きますが、均等に撒かなければなりません。ここまできれいに撒けるようになるには10年はかかるといわれています。
 
 
 
曽々木海岸もご覧のように千畳敷岩となっています。
 
      
 




垂水の滝

道の駅すず塩田村から海岸沿いに走ること約10分、落差約35mの垂水の滝に着きます。
滝は山から海へと注ぎこみますが、厳冬期においては強い海風によって左右に大揺れしながら空に向かって上り始めることから、「逆さ滝」あるいは「吹上の滝」とも呼ばれています。
  
    
  白米千枚田(しろよねせんまいだ)
輪島市郊外の白米町にあることからこの名がついた棚田は、水田1面当たりの広さが18㎡と狭小で、全部で1004枚と典型的な棚田となっており、日本の棚田百選に選ばれており、世界農業遺産のシンボル的な存在となっています。
冬枯れの棚田ですので、できれば田んぼに水が貼られた5月ごろに訪れてみたい光景です。
  
      
 
Googleマップの上空からの千枚田の風景
 
  
     
    
  輪島塗漆器工房
伝統的な技法により制作される漆器、見事というより言葉が出ません。
 
 
   
     
   
  今日の夕食はふぐづくしです。
先付けはふぐの握り寿司、お造りはてっさ。焼き物はふぐの干物、鍋物はてっちり、揚げ物はふぐの唐揚げそしてふぐ入りの茶碗蒸しです。
 
 
     
     
      トップページに戻る      能登の旅 その3を見る