プリシュティナ
 
コソボの首都であるプリシュティナに着いたのは午後4時20分過ぎ、約1時間半の観光です。
東ローマ帝国時代の6世紀にバルカン半島の交通の要所にあったプリティシュナは交易として発展、12世紀から15世紀にかけてのセルビア王国の時代においてはセルビア王国の重要なとしてして発展した町です。
15世紀末には他の都市同様にオスマン帝国の支配下となり、キリスト教徒であるセルビア人がオースリア領に移住し、人口が希薄となった地域にムスリムのアルバニア人が移住。そのため、この地はセルビアと結びつけられるが、民族的にはアルバニア人が居住している、という現在の構造の基礎となったようです。
オスマン帝国の支配下からアルバニアが独立した20世紀の初めから民族運動が高まり、アルバニア人とセルビア人の間の民族間の争いが生じだし、ユーゴを率いていたチトー大統領が1980年に死去した後にはは経済不況や食糧不足でアルバニア人の暴動が頻発し始め、コソボ紛争かの1999年にはプリシュティナは戦場と化し、NATOの空爆が開始されると、市内のあちこちで虐殺行為が展開されという最悪の状態となったようです。紛争終結後にはアルバニア人の報復を恐れて4万人いたといわれるセルビア系住民がこの町から姿を消したといわれています。

 
       
  コソボ平原
プリシュティナの郊外5kmぐらいのところにあるこのコソボ平原は1398年にバルカン半島のセルビア、ボスニア、ルーマニアなどの諸侯軍が、北へと勢力を伸ばしていたムラト1世率いるオスマン軍と会戦を行った「コソボの戦い」の地です。
会戦はオスマン軍の勝利となり、以後オスマン帝国はバルカン半島征服に大きな成果を上げセルビア、マケドニア、ブルガリアは長い間オスマン帝国支配下となったのです。
 
        
マザー・テレサ大聖堂
ビル・クリントン通りとジョージ・ブッシュ通りが交差するところの角に建てられた大聖堂で、ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサの生誕日である2010年の8月26日に完成披露が行われたカトリックの大聖堂です。

町ではコソボの独立支援に感謝して通りの名をこのように付けたようです。
     
 
       
バザール・モスク(Xhamia e Çarshisë)
チャルシャ・ジャミーアとも呼ばれているようですが、14世紀に建てられたモスクで、道路拡張のため一部が取り壊されています。
    時計塔
プリシュティナ旧市街の入り口付近に建てられたこの時計塔19世紀に建てられたもので、高さは約26メートルあり上部は6角形の煉瓦造りとなっています。
 
 
    
  コソボ博物館
1889年にオーストリア=ハンガリー様式で建てられ、オスマン帝国コソボ州の行政府が置かれその後軍の施設として利用し、博物館としては1949年以降利用されています。
博物館には考古学、民族誌学と自然科学分野の資料が展示されていますが、収蔵品の一部はコソボ紛争前にセルビアに持ち運ばれ今現在も返却がなされていないようです。
 
        
ファティ・モスク(スルタン・メフメト・ファティ・モスク)
プリシュティナで最大のモスクで、スルタン・メフメト2世の命により1461~1462年にかけて建てられ、17世紀末にはイエズス会の教会に使われたこともあります。モスクは1955年にこの地を襲った地震の被害を受けましたがその後復旧されています。
 
     
 
   
独立広場(Park i Pavarësisë)
広場にはイブラヒム・ルゴヴァの銅像があります。
ルゴヴァはコソボの政治家で、コソボのアルバニア人からは、国父と呼ばれた人です。
ルゴヴァはコソボ紛争において、アルバニア系住民の中にあって穏健派指導者として行動し、平和的手段による独立運動を進め、1992年からコソボの大統領となり、国連の暫定統治下にあるコソボ自治州の地位をめぐって、セルビア共和国との交渉が本格化する矢先の1996年に肺がんで亡くなっています。

右端のビルはコソボ政府の建物です。
      
 

 

スカンデルベルクの騎馬像
本名ジェルジ・カストリオティ、通称スカンデルベルクは19世紀にアルバニア人の民族意識が高まると、オスマン帝国からの独立を目指し、25年間にわたってアルバニアの独立を保ち、民族的英雄として高く評価されました。
スカンデルベルクは同時代のハンガリーのフニャディ・ヤーノシュ、ワラキアのヴラド・ツェペシュと並んで、オスマン帝国のヨーロッパへの拡大を遅らせた英雄と見なされています。
      マザー・テレサ像
マケドニアのスコピエ生まれのマザー・テレサの銅像がなぜコソボに。どうやらマザー・テレサの母親がアルバニア人であったことから建てられてるようです。
 
 
        
   
何かイベントがあったのでしょうか、マザー・テレサ通りをクロアチア、アルバニアなどの民族衣装を着た人たちが大勢行進していました。  
        
マザー・テレサ通りとグランド・ホテル
通り沿いに建つこのホテルは共産党政権時代からあるホテルで、コソボ紛争の際にはプレス・センターが置かれ世界各地に情報が発信されていました。
     
 
        
コソボ国立公共図書館(左)と救世主教会(右)
コソボ国立公共図書館は1982年に建てられた図書館で、まるでルービック・キューブを組み合わせその上にドーム屋根を置いたようなユニークな構造です。
コソボ紛争の際に蔵書は燃やされ、内部も破壊されたとのことで一時は避難民の住居として使われていたようです。
右の救世主教会は1995年に建てられたものですが、紛争により破壊され、修理することなくそのままとなっているようです。
   
 
 
 
   
2008年2月のコソボの独立を記念して除幕式が行われた高さ3m長さ24mの「NEWBORN」のモニュメント、式典に参加した人たちが思い思いの言葉を書き込んで独立を祝い、その後市民誰でも書き込みOKとなり、ご覧のような姿に。ときどき色を塗り替えているようですがすぐに書き込みで一杯になるようです。  
        

ビル・クリントン通りにはクリントン元大統領の銅像があります。
 
 
        
午後5時45分プリシュティナの観光を終えプリシュティナ国際空港へ、これから帰国です。  
        
        
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