佐渡島 その2
 
旅の二日目は今回のツアーの中心となる佐渡金山観光ですが、まずは北沢浮遊選鉱場跡からスタートです。
 
 
  北沢浮遊選鉱場跡
 
佐渡市の相川北沢地区にある北沢浮遊選鉱場は、かつて佐渡市に存在した佐渡金山の選鉱場で、1937年(昭和12年)から1940年(昭和15年)にかけて日中戦争開始前の国策の一環として整備されたものです。
所内には大規模な最新の技術を用いて採掘した鉱物を、界面活性剤などを用いて選別し有用な鉱物のみを収集する浮遊選鉱場のほかに、シックナー(濃縮器)と呼ばれる鉱物回収のための装置、日本初の火力発電所などが建設され、東洋一の規模を誇る月間5万トンの原鉱石を処理する施設でした。しかしながら、1952年(昭和27年)の鉱山大縮小に伴って廃止となり、その遺構が残されています。
この遺構は、佐渡鉱山関連遺産として佐渡市内ある他の施設と併せて2007年(平成19年)に、経済産業省の近代化産業遺産として認定されており、「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」の一部として、現在ユネスコの世界文化遺産への登録を申請されています。
 
 
   
  金銀鉱浮遊遊選鉱場跡(上の写真は向かった左側から、下の写真は向かって右側から撮影)
  
 
   
     
 



石炭火力発電所跡

赤煉瓦造りのこの建物は、1908年(明治41年)に建てられた火力発電所で、1935年(昭和10年)まで稼働していました。
 
 
   
  50mシックナー
シックナー(thickener)とは濃度の低い泥鉱を沈降槽を利用して廃泥と清澄液に分離する装置をいい、1940年(昭和15年)に完成した直径50mの円形連続シックナーに、近くを流れる濁川の上流にある間の山搗鉱場(あいのやまとうこうば)から排出された金銀を含んだ泥状の鉱石を、この装置にいれて水分と鉱石の分離させていました。
(搗鉱とは鉱石を連続して搗いて破砕することをいいます。)
 
 
   
  北沢地区の工場施設群跡
時間がなく、そばまで行って写真を撮る時間がありません。
 
 
   
   
 
 



相川郷土博物館(上の写真)

相川郷土博物館は、旧宮内省御料局佐渡支庁(国史跡)の跡を利用したもので、佐渡金銀山関係の資料、鉱山鉱物や岩石の標本、相川地区の美術品などが所蔵・展示されています。

御料局とは明治維新後に天皇家の財産管理を行っていたところです。
 
   


相川郷土博物館の裏には「良寛の母の碑」という道しるべがありましたが、探す時間もなく撮影を断念。

ここ北沢浮遊選鉱場跡の観光時間はわずか20分足らず。いろいろ写真を撮りたいのに時間がありません。おまけにここに来る途中に佐渡奉行所跡や時鐘楼などがありましたが、バスがゆっくり走っただけで一時停止もせず写真一枚も撮れませんでした。
      
 
 



佐渡金山

佐渡島にはよく知られている相川金銀山のほかに多くの鉱山があったとのことで、平安時代以前から採掘が開始されたといわれている西三川砂金山、安土桃山時代に採掘が開始された鶴子(つるし)銀山などがありました。
江戸時代には江戸や大阪から無宿人たちがこの地に送られ過酷な労働が強制されたことは多くの人の知るところです。
現在観光できるのは、江戸時代の初期に開削された宗田夫坑と明治時代の後半に開削された道遊坑があります。宗田夫坑は手掘りの坑道で、道遊坑は機械化された鉱山で、1989年(平成元年)の操業停止まで作業が続けられていました。
金山は閉鎖されるまでの388年間に、78tの金と、2,330tの銀を算出した日本最大の金山でした。
二つの坑道を見ることは叶わずどちらかを選んでくださいとのことでしたので、宗田夫坑を見ることにしました。
 
     
 
坑道内を進んでゆきます。坑道内は1年中10℃前後の気温ということで薄着できてしまった私は、中に入ると寒いかなと思いましたが意外と平気でした。
 
 
   
  水上輪(すいしょうりん)と名付けられた坑内排水のための揚水ポンプは江戸時代の初めに取り入れられました。
坑道内には65体の坑夫のロボット人形が置かれており、写真で見るとわかりませんが、それぞれ採掘作業を忠実に再現するよう工夫されており、そのシーンごとに作業を行いそしてしゃべるように作られています。
 
 
   
  立合(たてあい)
佐渡では鉱脈のことを立合と呼んでいたようです。
  
 
   
   山留(やまどめ)大工
佐渡奉行所直属の技術者で坑道内を調べて断層の有無、岩盤の強弱などを調べて補強の作業をしていました。
 
 
   
  検問所
坑道の出入り口に設置されており、坑道への人の出入りのチェックや、掘り出した鉱石を持ち出していないかチェックを行っていました。
 
 
   
  掛樋(かけどい)
坑内で湧き出る水を処分するための樋で、水上輪で下から上げた水をこの樋を通して坑外に運んでいました。
 
 
 



水替人足

坑道が深くなると当然のことですが出水量が増えてくるので排水作業を行わなければなりません。水上輪を操作するのは樋引人夫、水をつるべや桶でかい出すのが水替人足で、江戸や大阪から送られてきた無宿人がこれに当たっていました。
 
     
   
  金穿大工(かなほりだいく)と呼ばれた坑夫は、鏨(たがね)と鎚で鉱石を採掘していました。
 
 
 



佐渡金山に伝わる独特の祭礼「やわらぎ」のシーン

鉱脈を発見したことのお祝いで、写真中央の縦じまが鉱脈(立合)とのことで、間歩(採掘坑)開きのお祝いが歌を歌いながら行われています。
 
   
 
鉱山の断面  


間切改め
採掘坑が計画通りできているか測量する 


 
 

 
揚柄山
坑内の廃石を集めまとめて選鉱を行う
 
 
水替
桶引人夫や水替人足が湧水を汲みあげ坑外へ配水する
 

 
 採鉱
大工や坑夫が鏨や上田箸、ツチなどを用いて手掘りする
 
水替
桶引人夫や水替人足が湧水を汲みあげ坑外へ配水する
 
   
   
   
   
   
 
     
            北沢浮遊選鉱場と佐渡金山のマップ  
     
     
     
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