佐渡島 その4
 
 
  宿根木

ツアー最終日は、江戸時代の後期から明治時代の初期にかけいて、北前船の寄港地として栄えた宿根木の町を観光です。宿根木は佐渡島の最南端にある町で、佐渡島で唯一というか新潟県で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている町です。
町はたらい舟で知られる小木海岸の入り江の奥にある集落で、現在の人口はわずか150人そこそこ、保存地区にある建物は100棟程ですが、その殆どが杉の板張りの外壁となっています。
板張りの外壁そのものは日本の家屋としては普通ですが、ここの板張りは「サヤ」と呼ばれていて、建物に塗られた漆喰壁を塩害から保護することと、建物に付属する蔵を隠して盗難を防止することが目的であることが変わっています。
また、屋根にも特徴があって、一部の家屋の屋根は薄く割った板を何枚も重ねてその上に石を置くといった石置木羽葺(いしおきこばぶき)屋根と呼ばれる屋根となっています。
 
 
   
  建物の屋根は3種類あります。
黒い屋根瓦は昭和30年代から取り入れられた石川県の能登から取り入れている『能登瓦』です。写真では判らないですが、黒光りする瓦です。
赤っぽく見えるのは江戸時代に取り入れられた石見瓦、そして杉板の上に石が置かれた石置木羽葺屋根です。
 
 
   
  海辺にはたらい舟が見えます。地震で入り組んだ入江での貝類や海藻の漁のため江戸時代の終わりごろに考案されたということですが、洗濯桶を改良したたらい舟は「はんぎり」と呼ばれていて、直径約1.5mの楕円形で耐荷重は500㎏くらいまであるようです。とはいっても安全のため漕ぎ手となる女性船頭と2人のお客の3人までと定められているようです。
 
 
   
   
   
石置木羽葺屋根の家
強い風に耐えられるよう杉板の屋根の上に河原石が置かれています。でも誰でもできる工事ではないようです。
 
 
 
   


公衆電話ボックスも石置木羽葺屋根です。
      



世捨小路(よすてこうじ)
 
何とも奇妙な名前の通りですが、海と山を繋ぐ集落における主要な小路でした。
通りの横にある説明板では、名前の由来ははっきりしていないとのことで、道幅が2mにも満たないこの道は、かつては集落に入るときは必ず海からの道が一般的であって、村の奥にある神社やお寺に向かう場合は必ず通った道であったようです。
逆にお寺から出た霊は、この小路を通ることで村との別れを告げていたとのことです。
 

 
   


柴田収蔵の生家

柴田収蔵は江戸時代後期の1820年(文政3年)にここ宿根木で生まれた人で、幼少のころから読書好きで、書や図書を写すことを好んでいました。
蘭学、医学そして天文地理学を極めた後に、幕府の藩書調所絵図調出役となり、楕円の地球図を作成したほか、鎖国下の日本において研究を続けた学者でした。
 
   
  屋号「穴口さん」と呼ばれるこの家は千石船の船主の家でした。広大な敷地が特徴です。
 
 
   
      
 
三角家と呼ばれる建物は1846年(弘化3年)の水害後に移築されたといいますから、築後176年の建物です。
三角形の土地に建てられた家は舟形で建てられています。この建物のところではJRの大人の休日俱楽部のコマーシャル撮影が行われ女優の吉永小百合さんが歩く旅で撮影したとのことですが、当時の写真が壁にありましたが、古くなって色が飛んでいるため、吉永小百合さんの顔がよく見えません。
 
 
   


共同井戸

人口が増えた宿根木の集落は、高台に家が建つようになり、この共同井戸まで毎日生活用水を汲みに来ていたとのことです。
井戸は元禄時代に利用が開始され、現在でも現役で利用されています。
写真では判りにくいですが、井戸の石段の中央部はすり減っています。
     
 


称光寺の山門

称光寺は1349年(貞和5年)に開基された島でいちばん古いお寺で、山門は島で最も古い建築物で、1713年(享保2年)と刻まれた棟札が残っています。
     
 
 
 
  土蔵とその覆屋(おおいや)
土蔵は何処でも白いしっくり壁で造られていますが、海風の強い地域では覆屋で周囲を囲って漆喰を保護しています。入口は都合4枚の扉で守られています。
 
 
   
  宿根木公会堂
1958年(昭和33年)に建てられたもので、芝居小屋として賑わっていました。現在では太鼓集団鼓童が定期的に公演をしています。
 
 
   
  小木海岸
小木海岸は「佐渡小木海岸」として国の名称及び天然記念物として指定されているところで、玄武岩、粗面岩で形成されている海蝕崖が連続して変化にとんだ景観を見ることができます。ここでモーターボートに分乗して琴浦洞窟と左八文字を観光です。
 
 
   
     
 



赤い太鼓橋が見えます。橋の左側には矢島・経島があるようですが、遠すぎて良く判りません。
このそばにはお光の碑という石碑があるようです。
お光は佐渡情話で『お光・呉作』の悲恋の物語に登場する娘のことで、柏崎から漁で佐渡にきた呉作が海が荒れて帰れなくなったことから小木の娘お光と恋仲になり、柏崎に帰った呉作を訪ねるため毎夜たらい舟で呉作のもとに通っていたところ、疎ましく思い始めた呉作が目印となる明かりを消したことから目標を失って帰らぬ人となったという話です。
『佐渡情話』なんて話、島の若い人たちは知らないでしょうね。

 

 
   


弘法大師(空海)が揮毫を振るったと伝えられる奇岩「左八文字」
 
   
  竜王洞
「琴浦洞窟」又は「青の洞窟」とも呼ばれており、2,020年のじゃらん「丸で海外絶景ランキング」で国内第2位の評価を得ています。
 
 
 
   


小木海岸のたらい舟

女船頭さんのほかに2人迄乗船でき、1人700円とか。
      



佐渡おけさ十六足踊発祥之地記念碑

「ハア~ 佐渡へ佐渡へと草木もなびくよ 佐渡は居よいか住みよいか」で始まる「佐渡おけさ」は、日本三大盆踊りの一つに数えられている盆踊りで、日本で最も知名度の高い民謡に一つです。
 



芭蕉の句碑

「荒海や佐渡によこたふ天の川」と刻まれた芭蕉の句碑ですが、1689年(元禄2年)対岸の出雲崎の浜を訪れた際に、はるか遠くに佐渡を見て詠んだとされています。
 
   
  田植えが行われた田んぼの先にあるのは海ではありません。新潟県最大の湖の加茂湖です。元は淡水湖でしたが水害を防ぐために両津で海と繋げており、汽水湖となっています。
 
 
   
2泊3日の佐渡の旅、とはいっても実質約2日の旅でしたので、佐渡島にある史跡の半分位しか見ていません。機会があればも一度佐渡の旅をしてみたいと思います。
 
 
 
     
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