サンティアゴ・デ・コンポステーラ
 
今日は観光最終日、サンティアゴ・デ・コンポステーラの観光です。ここサンティアゴ・デ・コンポステーラはエレサレム、バチカンと並ぶキリスト教の世界三大巡礼地であり、ユネスコの世界遺産に登録されているサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の最終目的地となっており、大聖堂のある旧市街も1985年に世界遺産に登録されています。
    
朝日が出るかなと思ってホテルそばの高台まで行きましたがごらんのように濃い霧が出ています。観光最終日だというのに空はどんよりとした曇り空、観光が始まるまで好転してくれれば良いと思ったのですがどうもすっきりしないままです。  
   
サン・フランシスコ教会(別名:サン・フランシスコ・デ・バルデディオス修道院と教会)
旧市街への入口となるバスの駐車場を下りる目に入るのがこの教会です。13世紀のはじめにゴシック様式で建てられましたが、18世紀にバロック様式で建て替えられたものです。横にあるモニュメントは聖フランシスコの像です。
 
 
 
 
オブラドイロ広場とラホイ宮殿(ラショイ宮殿)
旧市街の中心地であるオブラドイロ広場、大聖堂建設中は石切り場(オブラドレス)であったことからこの名がついたようで、フランコ政権時代はスペイン広場と呼ばれていたようですが民主化後もとのオブラドイロ広場に戻したとのこと。
広場の正面に建つ長さ90mにも及ぶこの建物、ラホイ宮殿(ラショイ宮殿)と呼ばれ、18世紀に神学校としてネオクラシック様式で建てられましたが、現在では自治体の庁舎として使用されています。
 
   
アラメダ公園
旧市街の西側にある広い公園でサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂や旧市街が一望できるところです。あいにくの天気でいい色が出ません。おまけに大聖堂の尖塔の片側は修復中です。
 
 
 
   
 
旧市街の街並み  
   
マザレロス門
11世紀に造られた城壁に唯一残っている城門です。
マンホールの蓋も帆立貝のデザインです。 
 
       
アバストス・デ・サンティアゴ市場
公設の市場で市民の台所となっており、野菜、果物、魚介類と種類が豊富です。
 
   
 
   
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂
 
814年に聖ヤコブの遺骸が発見されたことで小さな教会が建てられたのが始まりで、その後イスラム勢力により破壊されるも11から12世紀にかけて再建され、増改築を繰り返して現在の姿となりました。
 
 
オブラドイロ広場から見る大聖堂
ロマネスク様式が主となっていますが増改築が行われているのでゴシック、バロック、プラテレスコ、新古典様式など様々な建築様式が混在しています。あいにくと一部修復中です。
 
   
  アストゥリアス皇太子賞受賞記念プレート
オブラドイロ広場にあったこのプレートは、スペインのアストゥリアス皇太子が主宰するアストゥリアス皇太子賞スペインの賞で、スペインのノーベル賞と呼ばれており、コミュニケーション部門、ヒューマニズム部門、社会科学部門、芸術部門、文学部門、学術・技術研究部門、国際協力部門、平和部門、スポーツ部門の8部門に別れ国際的に貢献した団体、個人に贈られるもので、ここサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路も2004年に平和賞を受賞しています。
(因みに日本では1999年に向井千秋氏、2001年に国際宇宙ステーションチーム、2008年に飯島澄男氏と中村修二氏、2011年に福島原発事故の対応チーム、2012年に宮本茂氏が過去に受賞)
 
        

すれ違った巡礼者のリュックには帆立貝の貝殻が、どこから歩いてきたのでしょうか。

七つ道具ではありませんが帆立貝の貝殻、杖、ヒョウタンそして左上は何
 
   
聖なる門
キンターナ広場にあるこの門は聖なる門(免罪の門)とよばれ、聖年(カトリックにおいて巡礼者に特別に赦しを与えるとした年で、25年ごとに聖年としている。)しか開かれないとのことで、門の上には聖ヤコブ像があります。
 
   
銀細工の広場(プラテリアス広場)
かつて銀細工師達が店を開いていたといわれる広場で、中央には星を掲げる女神の噴水があります。
 
   
銀細工の門
大聖堂内に入るのに用いられているこの門のファサードにはキリスト受難の図が彫りこまれています。
 
   
 
 
ボタフメイロ
聖堂内に天井より吊るされている銀色の振り香炉のことをボタフメイロといい、ガリシア語で「煙を吐き出すもの」との意味ですが、高さが1.6m、重さ80kgあります。
この香炉に40kgの香と炭を入れて焚き、下で8人の「香の運び人(tiraboleiros)がロープを引っ張り振り幅を大きくしてゆきます。最終的には時速70km近い速さで振られて聖堂に集った民衆に香が行き届くようになるそうです。
ボタフメイロが使われだしたのは11世紀ごろといわれ、大聖堂にたどり着く巡礼者は疲労し不潔な状態の者が多く体臭の匂いを消すために香を入れて焚き出したのが始まりといわれており、現在のものは滑車が1604年に造られ、ボタフメイロは1851年に造られたものです。
現在では特別なミサの終了後に行われているようです。
    聖ヤコブ像の背中
大聖堂内の狭い階段を上がってゆくと聖ヤコブ像の後ろ側に。
この像に抱きつくと願い事がかなうといわれており、私も写真を撮った後に抱きつました。
何を願ったかはヒミツ!
 
 
   
サン・マルティン・ピナリオ修道院
インマクラーダ広場にあるこの修道院は10世紀に建てられ、その後16世紀に再建されたものでルネサンス、バロック、ネオクラシック様式が混在した建築となっています。19世紀からは神学校として使われていましたが、現在では宿泊施設となっています。
 
   
歓びの丘

長い道のりを歩いてきた巡礼者が最後に立ち寄るのがモンテ・ド・ゴゾという小高い丘です。「歓びの丘」と呼ばれており下に見えるサンティアゴ・デ・コンポステーラ迄あと5km弱、昔の巡礼者がここまでたどり着くのにはかなりの労苦があり途中で倒れる人も少なかったとのことで、丘の上にある二人の巡礼者の歓びがわかるような気がします。
 
   
 
   
ここで日本人の巡礼者2人と出会いました。フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポルから約800kmを32日の行程でたどり着いたとか。  
   
  日本スペイン交流400周年記念碑
モンテ・ド・ゴゾの道路わきにあったこの石碑は、慶長18年(1613年)にに仙台藩主伊達政宗がフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使としてスペイン国王国王フェリペ3世、およびローマ教皇パウルス5世のもとに派遣してから400周年にあたることを記念して、平成25年(2013年)10月24日に建立されたものです。
 
     

ギョリュウバイ(フトモモ科)
 
   
   
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