世界文化遺産下賀茂神社(2016.03.10撮影)
 
京都市左京区にあってユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」のひとつとして登録されている下賀茂神社、正式名称は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)といい、上賀茂神社とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、毎年5月に上賀茂神社とともに開催する葵祭(賀茂祭)で有名です。
神社の祭神は、東殿が上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命の母の玉依姫命(たまよりひめのみこと)、西殿が玉依姫命の父で神武東征の際に八咫烏(やたがらす)に化身したといわれる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)となっています。
神社の歴史は崇神天皇7年に神社の玉垣を修理したという記録があることからこの時代の創建ではという説があり、一説には天平のころに上賀茂神社から分祀したとといわれていて、京都では上賀茂神社とともに最も古い神社のひとつとなっています。
神社の境内には東京ドームの約3倍といわれる広大な面積の「糺の森」があり、国の史跡として保存されています。
 
    
  あけ橋
現在京都国立博物館に所蔵されていて下賀茂神社に複製がある平安時代に作られ、下鴨神社の様子が描かれている「鴨社古図」によると、鳥居や社殿群の位置もほとんど現在と変わりがく、この古図にもこの橋が描かれており、鎌倉時代の祐直卿(下賀茂神社の正禰宜であった鴨祐直?)記にも「赤井橋」と記されているとのこと。
神社の神域に入るには、この橋の下を流れる瀬見の小川を渉って、お祓い、禊きをすることが慣例となっていたようで、祓い清め、身が改まるることから「あけ橋」と呼ばれていました。
 
   
  御手洗(みたらし)
「糺」の語源となったといわれる説のある「直澄(ただす)」と名付けられている手水舎の覆屋は、糺の森神地に瑞籬(みずがき)の造替を賜ったとされる記録をもとに再現した透塀で造られており、糺の森で湧き出るご神水を注いでいる樋は樹齢600年の欅が使われています。
 
      
  お白石
南口鳥居の横に積まれたこの石は、「お白石(おしらいし)」とよばれるもので、本殿の御垣内に敷き詰めるための石で、かつては参拝者が鴨川から石を持ち寄ってお清めをしたのちに御垣内に敷き詰めてご奉仕していました。
明治時代に入ってから新政府が発した上知令(江戸時代に認められていた寺社領の没収)により遷宮ごとに石を採取することができなくなったため、「石拾い神事」として敷き詰められた石を取り出し、3年間お清めをしたのちに遷宮の時に戻すこととなったようです。
神社では21年ごとに遷宮を行っていますが、この時に御祓いをすませた白石を元に戻す「お白石持ち神事」が行っており、訪れたこの年は遷宮の年とのことで参加者を募っていました。(参加料は500円ですが、本殿前の仮置き場に納めるだけで御垣内には入れないとのこと。)
     
   南口鳥居の鳥居を潜って境内に入ります。     連理木の賢木(さかき)と相生社
連理木とは、2本の樹木の枝または1本の樹木のいったん分かれた枝が癒着して結合したものをいい、一つの枝が他の枝と連なって理(木目)が通じた様が吉兆とされ、「縁結び」「夫婦和合」などの象徴として信仰の対象ともなっています。
ここ下賀茂神社の連理木は「連理の賢木」といって御神木となっており、現在の賢木の木は4代目で、4代とも連理木もなっているので「京の七不思議」のひとつとなっています。。
賢木の木の右側にあるのは境内末社のうちの一社で相生社といい、縁結びのご利益で知られています。
 
     
  さざれ石
さざれ石(細石)は、もともとは小さい石ですが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化したものです。
国歌「君が代」の中に出てくる「千代にやちよに さざれ石の いわおとなりて」にある「さざれ石」ですが、国内の神社などでよく見かけることができます。
 
     
  楼門
創建以来21年ごとの式年遷宮で建て替えられていた楼門は、檜皮葺きで高さは約30mあり左右に回廊がが設けられています。現在の楼門は寛永5年(1628年)に造営されたもので、これ以降は式年遷宮のつど解体修理を行って保存しています。
 
     
  橋殿(はしどの)
境内を流れる小川をまたぐように建てられた橋殿は、檜皮葺きの入母屋造りで寛永5年(1628年)に建て替えられたもので、毎年5月に開催される御蔭祭りの際に御神宝を奉安する御殿で、中秋の名月の際に開かれる名月管弦祭や正月の神事などにも用いられており、重要文化財に指定されています。
 
     
  神服殿(しんぷくでん)
檜皮葺きの入母屋造りで寛永5年(1628年)に造営され、神事の際に着用する神服の奉製が行われ、勅使殿、着到殿としても用いられました。(重要文化財)
 
     
  舞殿(まいどの)
檜皮葺きの入母屋造りで寛永5年(1628年)に造営され、葵祭(賀茂祭)の際に勅使が御祭文を奏上して、雅楽の一種である東游(あずまあそび)が奉納されます。(重要文化財)
 
   
  中門
切妻造り檜皮葺きの四脚門で、両側に雅楽を奏した楽屋があり、これを抜ける本殿に至ります。(重要文化財)
 
   
   
    
言社(ことしゃ)
言社は神社の末社で大国主命を祀っており、大国主命はその働きごとに異なる名前があり、その名前ごとに社があって十二支の守護神となっています。
上左の写真の左側が丑・亥の守護神で祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)である二言社(南社)、右側が子の守護神で二言社(北社)で祭神は大国主命(おおくにぬしのかみ)、右上の写真は巳・未の守護神で大国魂命(おおくにたまのかみ)で一言社(東社)、下左は午の守護神で、祭神が顕国魂命(うつしくにたまのかみ)で一言社(西社)、下右の写真は三言社で、左は南社の辰・申の守護神で祭神が八千矛命(やちほこのかみ)、中央が中社の寅・戌の守護神で祭神が大巳貴命(おおなむちのかみ)、右側が北社で卯・酉の守護神で志鼓男命(しこのおのかみ)となっています。
 
    
   
     
  御手洗社(みたらししゃ)
井戸の上にあることから別名「井上社」とも呼ばれ、御手洗池(御手洗川ともよばれています)から湧きだす水を用いて葵祭の際に斎王代の禊を行ったり、土用丑の日に「足つけ神事」(御手洗祭)が行われています。
御手洗池から湧き出る水泡をかたどったのが「みたらし団子」の名前の由来といわれています。
 
   
  解除所(げじょしょ)
御手洗池の前にあり天皇が行幸、御幸、官祭の際にお祓い(解除)される場所で、ほかの神社などで常設されてい寝ることはないようです。
 
     
  幣殿
重要文化財の幣殿は、中央軒唐破風の入母屋造りで檜皮葺きとなっており、この奥に国宝に指定されている東西の本殿があります。
 
     
   
   
三井神社
境内摂社のひとつで、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、伊賀古夜媛命(いがこやひめのみこと)、玉依媛命(たまよりひめのみこと)をご祭神としており、山城国風土記に出てくる「蓼倉の三身の社」とあるようで、現在の社は寛永6年(1629年)に創建されたもので、重要文化財に指定されています。
 
   
  白玉椿「擬雪」
寛政5年(1793年)に光格天皇が御親拝になられたときに御遺愛の白玉椿を奉献され、半八重咲きで真っ白な花が雪のようであることから「擬雪」と名付けられましたが、長年の風雪により枯れてしまい、平成27年に三井グループから三井神社の修復完了を記念して同種の椿が奉納されたもので、三井神社に向かって右側に植えられています。
 
   

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