東京歴史さんぽ その6
  
 
浄閑寺
 
都電荒川線の三ノ輪の駅から歩いてすぐのところにある浄閑寺、寺の創建は明暦元(1655)年で「三ノ輪の浄閑寺」と呼ばれており、江戸時代においては「投げ込み寺」として知られていました。そうここから歩いて約10分のところに吉原の遊郭がありました。安政2(1855)年の11月に発生した安政大地震で亡くなった吉原の遊女(500人くらいといわれています。)を供養したころから「投げ込み寺」と呼ばれるようになり、新吉原時代から遊郭廃止までの間に遊郭から運び込まれた遊女、遊女の子、安政大地震の被害者等(全て身元不明死体として扱われていました。)は推定25000人にも及んでいるようです。
所在:荒川区南千住2-1-12
 
    
    
     
新吉原総霊塔
遊女たちは生活に困窮した親兄弟のために苦界に身を沈めた若き女性たちで、全く自由のない厳しい状態に置かれて若くして亡くなることが多かったといい、塔の下部には川柳作家花又花酔がその生涯を詠った「生まれては苦界死しては浄閑寺」句碑が刻まれています。
   
 
     
  永井荷風の詩碑
明治、大正そして昭和の小説家永井荷風はしばしばここ浄閑寺を訪れており、関東大震災後に詠んだ「今の世の若き人々われにな問ひそ」で始まる「震災」という詩が刻まれており、詩文の左には谷崎純一郎ほか42名の作家達による碑建立の文章が刻まれています。
 
     
樋口一葉旧居跡の碑
 
明治時代の女流小説家樋口一葉(本名 樋口夏子)は明治5(1872)年に東京府第二大区小一区(現在の千代田区)東京府庁構内の長屋に生まれ、明治29(1896)年に本郷区丸山福山町(現在の文京区西片一丁目)で肺結核により24歳の若さでこの世を去るまで実に12回もの転居をしたとのことです。
一葉は明治26(1893)年から約一年間下谷竜泉寺(現在の竜泉3-15)のこの地で荒物と駄菓子を売る雑貨店営んでおり、晩年に発表した「たけくらべ」や「分かれ道」はこの地で
の出来事などが題材となっています。
          
     
  一葉記念館
 
一葉旧居跡から200mほど離れたころに建てられている樋口一葉の文学的 業績を称える台東区立の博物館です。(月曜休館)
右のたけくらべ記念碑は記念館前の一葉記念公園にあります。
所在地:台東区竜泉3-18-4
   
       
飛不動尊
 
ちょっと変わった名称のお寺の「飛不動尊」、その歴史は享禄3(1530)年と古く天台宗の単立寺院で正式名称は龍光山三高寺正寶院といいます。なぜ飛不動の名がついたのかは寺の由来の説明板によれば、当寺を開基した正山上人が奈良県吉野にある大峯山で修業中に本尊が一夜にしてここに飛び帰ったとのことで、病魔や災難を「飛ばして」くれる、守り本尊が旅先まで飛んできて守ってくれると人々に信仰されていたと伝えられています。近年では航空機関係、海外に旅行する人、またボールがよく飛んでくれるようにとゴルフをする人もお守り札を買い求めにやってきているようです。
所在地:台東区竜泉3-11-11
 
   
   
  
  見返り柳
 
都道306号線(土手通り)の吉原大門交差点角の衣紋坂入口にあるこの柳の木、吉原遊郭で一夜を過ごした遊客が、大門角に植えられているこの柳の木のあたりで後ろ髪を引かれる想いを抱きつつ振り返ったといい、いつしか「見返り柳」と呼ばれるようになリ、「きぬぎぬのうしろ髪ひく柳かな」、「見返れば意見か柳顔をうち」など川柳の題材にもなっており、時代小説の吉原の場面でもしばしば登場します。。
柳の木はその昔山谷堀脇の土手に植えられていましたが道路拡張などにより移転や震災や戦災により何代も植え替えが行われています。

所在地:台東区千束4-10-8
 
   
竹屋の渡し跡の碑
 
墨田公園の「梅めぐり散歩道」付近に置かれているこの石碑、隅田川の対岸の三囲神社との間を江戸時代後期から昭和の初期まで渡し船が運航していました。
江戸時代にはここから三囲神社の鳥居が見えたといわれており、浮世絵の題材にもなっていたようですが、土手に立って対岸を見ましたが木が茂っていて見ることができません。
(「東京歴史さんぽ その5」に三囲神社側の渡し跡の碑文が載っています。)
  山の宿(しゅく)の渡し跡の碑
 
墨田公園の東武鉄道隅田橋梁のそばに立つこの石碑は、江戸時代中期以降に運行されていた渡し跡で、この付近の町を「山の宿」と呼んでいたことからこの名がついたようですが、「花川戸の渡し」とも対岸が枕橋のそばであったことから「枕橋の渡し」とも呼ばれていたようです。
 
    
  池波正太郎生誕の地碑
 
鬼平犯科帳、剣客商売、仕掛人梅安などの作者として知られる池波正太郎は、大正12年に旧東京市浅草区聖天町61番地(現在は台東区浅草3-7)で生まれました。待乳山聖天の南側にあたり、石碑は待乳山公園におかれています。
生家は関東大震災で焼失して残っていませんが、生前「大川(隅田川)の水と待乳山聖天宮は、私の心のふるさとのようなものだ」とエッセーにも記したとのことで、氏の小説にはここ待乳山、今戸などの地名がよく登場しています。
 
        
待乳山聖天
 
浅草寺の子院のひとつである寺院の待乳山聖天、地元の人からは「聖天様(しょうでんさま)」と呼ばれていますが、正式には「待乳山本龍院」といいます。この寺は隅田川沿いの小高い丘(「待乳山」と呼んでいたようです。)にあり、推古天皇3(595)年に龍が出現して守護したと伝えられており、浅草寺の山号の「金龍山」はこれからとったともいわれています。本尊は歓喜天で商売繁盛・夫婦和合にご利益ありといわれており参拝客が絶えません。
また毎年1月には「大根まつり」がおこなわれていますが大根は清浄、淡白な味わいのある食物として好まれ、 しかも体内の毒素を中和して消化を助ける働きがあるところからお供物として用いられているようで、境内に掲げられている提灯には大根の絵、それも二股大根の絵が描かれています。
   
     

本堂
 
歓喜地蔵尊
 
    

宝篋印塔
  
百度石
 
出世観音
 
二股大根の描かれた提灯
 
    
墨田公園の紫陽花
 
墨田公園といえば隅田川沿いの桜並木が有名ですが、台東区側の公園には紫陽花が咲いています。「墨田公園あじさいロード」と名付けられており隅田川沿いに2㎞にわたって約1万株のアジサイが植えられており、種類はそんなに多くありませんが今の時期結構楽しめます。
 
   

   
     

   
     
      
     
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