要塞都市ヴァレッタ

マルタの首都であるヴァレッタ(バレッタとも表記されます。)はマルタ島の東側に位置し、港を見下ろすシベラスの丘の上にあります。街の名前は1565年オスマン帝国による大包囲戦を撃退した聖ヨハネ騎士団(のちのマルタ騎士団)の団長であるジャン・ド・ヴァレットに因んで名づけられており、大包囲戦後に難攻不落の都市となるよう設計され、街全体が要塞となっています。
このヴァレッタは街全体が1980に年ユネスコの世界遺産に「ヴァレッタ市街」として登録されました。
 
マルタの宿泊はヴァレッタ郊外にあるセントジュリアンにありる海辺のホテル、地中海から昇る朝日をと思っていましたが、4日間とも曇り又は雨の夜明けで日の出の写真は撮れずじまい。残念!!
 
ヴァレッタの観光はアッパー・バラッカ・ガーデンからスタートです。
門をくぐると庭園がありその先にテラスがあります。
テラスからはグランド・ハーバーと呼ばれる天然の良港と対岸のスリーシティーズが一望できます。
 
   

アッパー・バラッカ・ガーデンから望むグランド・ハーバー(港の赤い船は石油探査船、その奥にはリカゾーリ砦、更に地中海が望めます)
 
   
 
上左は聖アンジェロ砦、右はセングレアの要塞  
   
庭園の下にはサルーティング・バッテリーと呼ばれる大砲がグランド・ハーバーに向けて据付けられており侵入する敵に対応していました。
現在では正午になると空砲が放たれ時を知らせています。
 
   
首相官邸
かつてカスティーリャ出身の騎士団員の宿舎であったところです。
   
          
勝利の聖母教会
首相官邸のそばにあるこの教会は16世紀に建てられたヴァレッタ最古の建造物です。 
    ジャン・ド・ヴァレット像
ジャン・ド・ヴァレットは、マルタ大包囲戦の際の騎士団総長であり、勝利の聖母教会前のジャン・ド・ヴァレット広場に置かれています。
 
   
国立考古学博物館
ヴァレッタのメインストリートであるリパブリック通りに面したところにあるこの博物館は16世紀のマルタ騎士団のプロヴァンス地方出身者の宿舎であったものを利用しており、紀元前5200年から紀元前2500年頃の遺物が展示されています。
(内部は撮影できますがフラッシュは禁止です。)
 
 

正面入口

ロビーの天井にあるフレスコ画
 
   
紀元前2800年頃に建てられたと推定されている巨石神殿のタルシーン神殿(ヴァレッタ近郊にあり)とハガールキム神殿(ハジャール・イム神殿とも呼ばれています)の石材運搬の様子を推定した絵  
   
 
発見された遺物を見ていると考古学に興味を持って発掘に参加していた中学、高校時代を思い出します。  
   
ヴィクトリア女王像とマルタ国立図書館
リパブリック広場(共和国広場)はその昔クィーンズ・スクエア(女王の広場)と呼ばれていたとのことでヴィクトリア女王の石像があります。また、国立図書館は18世紀後半の建設になります。
 
   
聖ヨハネ大聖堂
正式名称は「聖ヨハネ准司教座聖堂」と呼ばれるこの教会、16世紀のマルタ大包囲戦後に聖ヨハネ騎士団の聖堂として建てられたこともあって軍事要塞の名残が残されています。聖堂内の礼拝堂は聖ヨハネ騎士団を構成した騎士が8言語に分かれていたことから8つおかれており、また、多くの騎士の墓石が並んでいます。
 
   
聖堂内部はバロック様式で造られており、アーチ状の天井と祭壇の両側は聖ヨハネの生涯の絵画が描かれています。(魚眼レンズ使用)  
  
 
 
         
 
 
   
カラヴァッジョ作「洗礼者ヨハネの斬首」
バロック期のイタリア人画家ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョがマルタ滞在時の1608年に描いた作品です。(これは写真を写したものです。)
 
        
丘の上にあるヴァレッタは坂の多い街です。下り坂はいいのですが登り坂や階段のきついこと、何ヶ所か見て回ると結構膝にきます。
年寄りにはとてもハードな街です。
 
 
 
ローアー・バラッカ・ガーデン
アッパー・バラッカ・ガーデンから東へ10分ほど歩いたところにあるこの庭園アッパー・バラッカ・ガーデンと比べると訪れる人も少なくひっそりとしていますが、上から見る眺めはアッパー・バラッカ・ガーデンと比べても見劣りしません。
 
   
リカゾーリ砦
グランド・ハーバーの入口にあたる岬に17世紀の後半に造られた砦で、対岸にある聖エルモ要塞と共にヴァレッタの重要な拠点となっていました。19世紀のイギリス支配下においては重砲用の砲塔、旋回砲塔、旋回銃座等の装備が強化され、第二次世界大戦においても重要な役割を果たした場所です。
 
        
第二次世界大戦マルタ包囲戦記念鐘楼(シージー・ベル・メモリアル)
イギリスが海軍基地をおいていたマルタは第二次世界大戦においては北アフリカへの補給拠点として重要な役割を果たしていました。
このため1942年夏にはドイツ、イタリアにより「マルタの包囲」と呼ばれる大包囲戦が展開され、一時は陥落する寸前まで追い込まれましたが、多大な犠牲を払いながら連合軍は必死の防戦により死守することに成功。以後の戦いを有利に進めるきっかけにもなりました。

鐘楼はこの戦いを記念して1992年に建てられたものです。
 
   
騎士団長の宮殿
1547年当時の騎士団長ピエトロ・デル・モンテによって建てられたもので、一階は兵舎、厨房、貯蔵庫、馬小屋などがあり、二階は団長執務室迎賓の間、大広間、武器庫となっていました。イギリスの支配下においては総督府として使われ、独立後は大統領府と議会が置かれています。(内部の撮影はフラッシュ禁止です。)
 
    
 
   

ネプチューンの中庭

最高審議の間
 
   
夜のヴァレッタ  
   

聖ヨハネ大聖堂

ヴィクトリア女王像とマルタ国立図書館
 
   

聖アンジェロ砦

セングレアの要塞
 
   
 
 
 
 
    
    
   トップ頁に戻る     キプロスとマルタに戻る    マルタその2に戻る   マルタのカーニバルを見る