ウィーン

オーストリア共和国の首都であるウィーン、古代ローマ時代から歴史が残っており、13世紀の後半から第一次世界大戦の終わりまでの何と650年にも及び国の統治を続けたハプスブルク家の本拠でもあります。この影響もあって旧市街には歴史的建造物が数多く残されており、1996年には「シェーンブルン宮殿と庭園群」、2001年にはシュテファン大聖堂をはじめとする建造物のある旧市街が「ウィーン歴史地区」がそれぞれユネスコの世界文化遺産に登録されています。
  
  
シェーンブルン宮殿
もともとこの地は狩猟用の館があり、17世紀の初めに湧水が発見され「シェーンブルン」と名付けられたとのことであり、女王マリア・テレジアにより現在の姿に整備されたといわれるこの宮殿、その部屋数は何と1441室。公開されているのはそのうちの40室で、未公開の部屋のうちには公務員等に対して賃貸されている部屋も多いとのことです。また、宮殿の南側には幾何学模様で作られた花壇や動物園等もありますが、わずか数十分の自由時間ではとても庭園を見て回るわけにはいきませんでした。
 
 
 

ライトアップされたシェーンブルン宮殿
  
 
 
 
宮殿の入り口前にはハプスブルク家の紋章に使われてている黄金の鷲のある塔がそびえています。宮殿外部の壁は金を塗ろうとしたそうですが、財政難からマリアテレジアが金色に近いこの色を指定されたとかで「テレジア・イエロー」と呼ばれているようです。
訪れたこの日は土曜日あって大勢の観光客が次々と入館し、宮殿内で説明を聞くのには時間待ちができる状態でした。(内部は撮影禁止です。)
 
 
宮殿南側の庭園。奥の丘の上に見えるのはグロリエッテと呼ばれる記念碑。歩くと20分以上かかるとか。
  
 
ベルヴェデーレ宮殿
18世紀の前半に建てられたバロック建築によるこの宮殿、フランス貴族の出身でハプスブルク家に仕えたオイゲンが夏の離宮として造らせたもので、現在は美術館となっています。
宮殿の前庭には大きな池があり水面に宮殿が映し出されるようになっていますがあいにくと池に水漏れが生じたとかで工事中。反対側の庭からはウィーン市内が一望できるベルヴェデーレ(イタリア語で「美しい眺望」)と名付けるにふさわしい眺望です。
 
   
 
   
 
   
スフィンクスとバロック庭園
奥にはシュテファン寺院の尖塔が見えます。
 
   
モーツァルトハウス
モーツァルトの生涯の中で、最も充実した生活を送ったのが1784年から13年間住んだこの家で、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」等がここで作曲されたとのこと。但し、当時の家具等は残っていません。
 

回廊式になっています。
 
   
シュテファン大聖堂
14世紀に建てられたゴシック様式の大聖堂で「シュテファン寺院」とも呼ばれており、ハプスブルク家の歴代君主の墓所となっていています。生憎と外壁部分が修復中のようでした。
 
   
 
オペラハウス 新王宮の裏側  
   
   
クアパーク・オーバーラーの風景  
        
  
     
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