小人が住んでいる街ヴロツワフ

ポーランドの南西部にあるヴロツワフ(ボロツワフ又はブロツワフとも記されることがあります。)はオドラ川の流域に造られた街で、10世紀には都市の形成が行われておりポーランドの中で最も古い都市のひとつで、2000年には都市建設1000年のお祝いが行われたとのことです。
街は13世紀にモンゴル軍の支配を受けた後はボヘミヤ王国、ハプスブルグ帝国、プロイセン王国領になるなどの変遷を経て現在に至ったものです。第2次世界大戦ではソ連軍とドイツ軍の激しい戦いで旧市街のほとんどを破壊されましたが、市民の協力により当時の資料を基に正確に復元されたとのことです。
 
   
100周年記念ホール

トルンを出発してから約4時間、午後5時半近くになってヴロツワフに到着。最初に見学するのがこの「100周年記念ホール」です。
このホールは1813年ドイツのライプツィヒでナポレオン率いるフランス軍19万とプロイセン、ロシア帝国、オーストリア帝国、スウェーデンの連合軍36万が激しい戦いを行い、連合軍がフランス軍を撃破した「ライブツィヒの戦い(諸国民の戦い)」の勝利を記念する目的で1913年に建てられたもので、高さ42m、内部の直径69メートルの丸屋根構造で造られたコンクリート建築で当時としては最大規模のものであったとのことで、2006年には「ヴロツワフの100周年記念ホール」としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。
訪れた当日は美容関係のイベント開催中とのことで内部の見学はできず、資料を見るだけで終了。同行者からは「チョットだけでものぞかせてくれればいいのに」との不満続出でしたが、出発前の案内にも「イベント等により閉館もある」と記載されていたのでマアしょうがないかも・・・・
(なお下右の写真でホールの手前にあるモニュメントはホール建設後に造られたものでホールとは直接関係ないようです。)
 
  
 
ということで旧市街の観光に移ります。といっても日没も近くそんなに時間はありません。旧市場広場周辺だけの観光です。
広場には16世紀の初めに完成した後期ゴシック様式の大きな旧市庁舎やカラフルな色で塗られた貴族の館が多くあります。
 
 
   
夕日に染まる旧市庁舎の時計塔(上左)と広場にあるモザイク画(上右)
 
午後7時半市内のホテルに宿泊。翌日朝ホテル出発前にNさんご夫婦と街中を散歩します。ヴロツワフには古くから小人の伝説があるとかで散策するといくつもの小人がさりげなく道端に置かれています。余りにも小さいので下を見て歩かないと見落とすものも多いくらいです(でも下ばかり見ていると建物を見落とすこともあるし難しいですよね・・・)。街には「小人マップ」なるものもあり、これを持って散策している人たちも結構いるようです。(帰宅してから調べてみると現在小人の数は90体以上。ポーランド政府観光局のツイッターに地図がありました。)
 
   
 
 
 
 
   
朝の旧市場広場は観光客も殆どおらずのんびりと散策できます。
 
 
肉屋通り
わずか5、60m位の短い路地、昔は肉屋が軒を連ねていたのでこの名称がついたとのことですが、現在はお土産やさんなどがあります。
豚、ヤギ、アヒル、ウサギのブロンズ像が置いてあることで納得するかもしれませんね。
 
旧市場広場の西北の角ぐらいの所に小さな門がありそれを潜ると聖エリザベート(聖エルジュベタ)教会があります。門(ヘンゼルとグレーテルの門と呼ばれているとか)の両側の建物がヘンゼルとグレーテルの家と呼ばれているようで、門としているアーチはどうやらあとからつけられたみたいです。  
   
 
 

オドラ川

運河の先にレンガ造りの建物が、気になるので行って見ると(下へ)
 
レンガ造りの大きな建物、ガイドブックにも何の建物なのか載っていません。建物の壁にあるプレートを写真に撮ってインターネットで調べると「ヴロツワフ地検」とありますが、何時ごろ建てられたかは不明でした。(建物の裏側には囚人棟らしきものもありました。)  
 

レンタサイクルの貸しスタンド

 
ヴロツワフの地図  
        
朝9時半ホテルを出発し今日の観光目的地チェンストホヴァに向かいます。
 
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