クラック・デ・シュヴァリエとマアルーラ

今日はパルミラから約220km先にある世界遺産の「クラック・デ・シュヴァリエ」を観光し、そこからまた180kmほど移動してマアルーラを観光、さらに50km先のダマスカスまで移動です。
 
 
パルミラの日の出
昨日の朝撮ったパルミラの日の出の写真を違う位置からトライして見ようと朝5時に起き、昨日の朝の冷え込みを思い出し、防寒対策をしっかりして日の出を待ちます。
    
 
昨日撮った場所と違って今日は四面門のところに三脚をすえて日の出を待ちます。撮影時間は午前5時46分、日の出までまだ20分ほどあります。
 
 
 
午前6時5分太陽が顔を出しました。  
 
 
 
 
クラック・デ・シュヴァリエ

パルミラのホテルを8時に出発、途中トイレ休憩をした後にクラック・デ・シュヴァリエに到着したのはちょうど3時間後の11時でした。この城がある地名をグーグルマップで調べましたが、ホムスとタルトゥスの間にあることまでしかわかりませんでした。
この城は11世紀の初めに標高690mの山の上に当時のアレッポの領主が最初に築城、12世紀の半ばに十字軍が利用することとなり、城壁の厚さは30m近く、内部はゴシック朝でに改築され2,000人以上の騎士と兵が常駐できるよう大きな食料貯蔵庫が設けられ、5年間の包囲にも耐えられる構造となっていたようです。この城の近くにはいくつもの城が築かれ、十字軍の防衛線として機能していたようですが、13世紀の後半にマムルーク朝のサルタン、バイパルスの攻撃により落城したとのことです。
クラック・デ・シュヴァリエは近くにあるサラディンの砦(カラット・サラーフ・アッディーン)とともに、2006年にユネスコの世界遺産に登録されています。
 
 
 
第9回十字軍の遠征でこの城を訪れた当時のイングランド王エドワード一世は、イングランド内での築城にこの城を参考にされたようであり、後にここを訪れたアラビアのロレンスは「最も美しい城」と述べたと伝えられています。(写真はお城全体が見渡せると評判のレストランそばからの撮影です。)
 
城壁
        
城の中に通じる道、馬でそのまま行かれるように幅広く傾斜の少ない道となっています
 
 
内濠
現在は内濠が少ししか残っていませんが、これは3度の地震の被害により大半が埋まってしまったもので、築城当時は城の外周りにもお濠があったようです。
    
馬小屋兼倉庫
城の中では当時2,000頭近くの馬がいたとのことで、ここでは約250頭が繋がれていたようです。
ゴシック様式の天井
        
水道橋
建物との間に設けられたもので、お城の内部に水道橋があるのはちょっと珍しいです。
風車小屋の跡
当時は風車小屋があり粉をひいていたようで、この下には食糧倉庫が設けられていたとのこと。
        
二重の城壁
当時はここも水濠だったのでしょうか。
外側の城壁
城の下には街並みが見えます。
 
 

城は山の上にありますので360度の展望ができます。敵が来てもこれならすぐに見つけられたのでは。
 
    
 
マアルーラ
 
クラック・デ・シュヴァリエのぞばのレストランを1時半に出発して約2時間でマアルーラに到着しました。
この街はイスラム圏にあって珍しくほとんどの住民がキリスト教徒とのことであり、標高1,500m近い山の中にある街で、人口が2,000人くらいなのに聖サルキス教会と聖テクラ教会と二つの教会があります。特に聖テクラ教会はどうしてこんなところに造ったのという位の山の谷間にありました。
 
 
マアルーラの街並み
山にへばりつくように建てられているのが旧市街です。
 
聖サルキス教会
4世紀ころに建てられた教会で、ローマ帝国の兵士で殉教となったサルキス(セルギウス)に因んで名前がつけられ、聖セルギウス教会とも呼ばれています。
 
聖テクラ教会
聖サルキス教会から歩いて数分のところにありますが、ご覧のように山の谷間にあります。紀元1世紀にキリスト教徒となったテクラが追われて逃げ込み、ここに教会を造ったのではといわれているようです。
聖テクラ教会はもう少し下に降りて見たかったのですが、残念なことに上から写真を撮るだけで本日の観光終了。ダマスカスに到着したのが午後5時半、明日は観光最終日ダマスカス観光を行い帰国の途につきます。  
       
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