観光スタートする前に、ロワシーで泊まったホテルの周辺の朝の散歩で見つけたのは、「パブリック本棚」。
「公共の本棚」とも呼ばれるシステムで、自分が読み終った本をこの本棚において、他の人が置いた本と交換して読む、あるいはほかの人が置いた本をここから持ち出して読むというシステムで、ドイツが発祥の地ということで、数年前に訪れたドイツのバイロイトでも同じスタイルで設置されていました。
日本でも同じようなシステムがあるといいんですけどね。

マップ
 
 
      
 


ジヴェルニー(Giverny)
 
観光のスタートは、「睡蓮」で知られる印象派の巨匠クロード・モネ(Claude Monet)の家と庭園からです。
モネは、43歳の時の1890年に、ジヴェルニーに土地を購入して家を建て、庭には睡蓮の花の咲く池を造って創作活動を行い、1926年に86歳で亡くなるまでこの地で過ごしていました。
モネの家の公開は毎年4月から11月までとなっており、我々が訪れたときも多くの観光客でにぎわっていました。

 
 
 
 
   
   
まずはモネの家からスタートです。結構行列が続いており、中を見ていると庭園を見る時間が無くなるかと思いましたが、15分足らずで家の中に入ることができました。
家の中にはモネが描いた絵画や収集した日本の浮世絵が数多く掲げられており、フラッシュをたかなければ撮影はOKです。

  
 
   
     
   
     
   
     
   
     
   
  喜多川歌麿作の浮世絵
左は『玉屋内の小紫と花紫』、右は『兵庫屋内の花妻と月岡』
 
   
   
   
家の中にはモネが収集した広重、歌麿、国重、豊國などの浮世絵師による浮世絵が200点以上あるとのことで、モネが亡くなった時にその息子が手放そうとしたようですが、値が高く売られることなく残ったといわれています。 
 
 
   
  ノンビリ絵を見ていると庭を見る時間が無くなるので、庭に出てみることに。
 
 
   
 
広大な庭にはバラをはじめいろいろな花が咲き乱れています。
 
 
 
 
      
 



睡蓮の咲く池はモネの家と離れており、道路を横切ることができず、地下道を通ってゆきます。
 
     
 
睡蓮の池にある「日本の橋」と名付けられている太鼓橋は観光客でいっぱいです。
 
     
   
  咲いている睡蓮の花は少なく、もう盛りを過ぎたのでしょうか?  
     
   
     
   
     
   
     
   
  アンシャン・オテル・ボーディ (Restaurant Ancien Hotel Baudy)
1891に建てられたホテルで、当時は、「画家たちのホテル」と村人たちに呼ばれていたようで、ジヴェルニーに来る画家たちの交流の場となっていたようです。現在は、建物はそのままですが、レストランとして用いられています。

 
   
  レストランの裏手には当時画家たちがアトリエとして用いていた工房がそのまま残されています。  
     
  ジヴェルニーには、モネの墓がある聖ラドゴンド教会(Église Sainte-Radegonde de Giverny)やジヴェルニー印象派美術館(Musée des impressionnismes Giverny)などの見どころがありますが、今回は訪れず、次の目的地ジェルブロワに向かうことに。  
     
     
     
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