明石城(2014年4月6日撮影)

日本百名城58番に選定されている兵庫県明石市にある明石城は、別名
喜春城錦江城とも呼ばれ、元和3年(1617年)に信州松本より入封した小笠原忠真が、徳川2代将軍秀忠の命により西国諸藩に対する備えとして築城を命ぜられ、元和6年(1620年)に完成した城です。
築城においては幕府の「一国一城令」により廃城となった三木城や船上
(ふなげ)城などの木材を、坤櫓(ひつじさるやぐら)は伏見城、巽櫓は船上城の遺材等を用いて行われたと伝えられています。なお本丸には四隅に三重の櫓が配されましたが天守閣は建てられなかったとのこと。
藩主は転封、転封でめまぐるしく変わり、特に延宝7年(1679年)に入封した本田正利は、苛政を責められわずか3年で陸奥岩瀬藩に減知転封となり、越前松平家より松平直明が入封。明治維新まで続きました。
城は明治の廃城令により、神戸相生小学校(現在の湊川小学校)の建築用材とするため北東の艮櫓(うしとらやぐら)が解体されるも、旧藩士等の有志の嘆願書により城址公園として利用されることになりました。その後、皇室の御料地となったため廃園、坤櫓、巽櫓の修理と乾櫓の解体が行われ、大正7年(1916年)に県立明石公園として復活しました。なお平成7年(1995年)に発生した阪神・淡路大地震で大きな被害を受け平成11年(1999年)まで修復が行われました。
 
      
  明石公園と書かれた碑石のあるあたりが当時太鼓門が置かれていたところです。  
 

西芝生広場より見る坤櫓(左)、巽櫓(右)〔いずれも重要文化財〕
 
       
西芝生広場には日時計が設置されています。ここ明石は東経135度、日本標準子午線の通る街です。
カメラのGPSを見ると東経134.5931度となっていますのでここよりもう少し東側が東経135度なのでしょうか。
それともカメラのGPSがずれているのかも。
       
 
本丸南東端に築かれている三層入母屋造りの巽櫓  
   
巽櫓と坤櫓をつなぐ本丸土塀のところからは明石海峡大橋がよく見えます。少し見える海の向うは淡路島です。  
   
本丸土塀から見る西芝生広場
広場の向こうにはJR明石駅が見えます。
 
   
 
明石城で最も大きい坤櫓は天守台のすぐそばにあり、天守閣のなかった明石城では天守閣の役割をしていたとされています。  
    
明石公園は「日本のさくら名所100選」にも選ばれているところで訪れたときは桜も満開で家族連れの観光客でにぎわっていました。この池は公園内ににある池の中でで最も大きい剛池(鴻池)です。  
   

坤櫓

巽櫓
 
   
   
      トップページに戻る            天空の城竹田城を見る