天空の城竹田城(2014年4月7日撮影)

日本百名城の56番に選定されていて、兵庫県朝来市郊外の標高353.7mの古城山(別名:虎臥山)の山頂に造られた竹田城(別名:虎臥城)、傍を流れる円山川の川霧により霞むことから、「天空の城」或いは「日本のマチュピチュ」とも呼ばれています。
城の縄張りは南北約400m、東西約100m、天守台をほぼ中央に本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配され、両翼に南千畳と北千畳、更に花屋敷と呼ばれる曲輪があります。築城に関しての明確な記録が残っていないようですが室町時代の嘉吉年間(1441〜1443年)に築城されたとの記録が残っているようです。
城は山名氏が築城したあとに太田垣氏が初代城主となり七代続きましたが、戦国時代の天正5年(1577年)には毛利と織田の勢力争いから発生した但馬の戦いに続く竹田城の闘いとなり落城し、以後織田・豊臣勢の武将である羽柴秀長、桑山氏、赤松氏が城主として入城していました。しかし、関ヶ原の戦いで東軍が勝利した後の慶長5年(1600年)徳川幕府により廃城が決定したとのことです。

Google earthによる竹田城の縄張り
        
城へは直接登ることはできず、自家用車、バスできた人たちは麓にある駐車場から「天空バス」と呼ばれるマイクロバスに分乗して途中の駐車場まで行きます。
天空の城として名が知られるまでは年間せいぜい数万人くらいが訪れるだけだったようですが、昨年は50万人以上訪れたとか。
私たちが登城するときときには着物姿の女性も見かけ、普通より段差のある階段を苦労して登っているのを見かけるほどでした。
 
   
  マイクロバスを降りてこれから登城、というか登山です。
 
   
城の石垣は安土城、姫路城と同じ近江坂本の石工である安太衆によって築かれた安太積みとなっています。  
   
 
急な坂道と階段を上ると「北千畳」です。  
   
北千畳から見る本丸の石垣  
   
三の丸
桜はちょうど見ごろとあって観光客でいっぱいです。
 
   
三の丸から見る朝来市和田山の街並み
画面中央下のところが播但線竹田の駅になります。
 
   
二の丸から見る南二の丸(中央部分)と南千畳(左端)  
   
 
本丸天守台(上に上がるところに柵がしてあり本丸部分には入ることができません。)  
   

花屋敷
花屋敷から見る南千畳  
   

花屋敷から見る本丸

南二の丸
 
 
南千畳と南二の丸の間にある正門の石垣
(積み上げてあるのは補修のための土嚢でしょうか)
 
   
 
南千畳  
   

下山する道の傍らにはスミレの花が
 
   
竹田城というと雲海の上に浮かぶ幻想的な写真を見ることが多いですが、雲海は円山川から発生する霧によって生ずるもので、昼間と夜間との温度差が激しいほど発生しやすく、時期的には9〜3月ごろの明け方から午前8時頃までといわれています。
朝来市のデータでは、昨年の9月から3月までの間で30回くらいしか朝霧は発生していないとのことですから運がよくなければめぐり合えないのでは。撮影スポットとしては「立雲峡」や「藤和峠」からがよいとされています。
 
    
   
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