アオスタとモンブラン

アオスタ

今朝はモーニングコールが6時半だというのになんと4時過ぎに目が覚め、といっても家にいるときは大体このくらいに起きてますが、いつものように持参のポットでお湯を沸かして目覚めのコーヒーを一杯とり、朝食前に街中を散歩です。
ここアオスタは標高が583m。、スイス、フランスの国境も近く、古代ローマ時代から栄えた街で、街中にいくつものローマ時代や中世の遺跡が残っており、現在はモンプラン(イタリア語で「モンテ・ビアンコ」)観光の拠点の街として多くの人が訪れているようです。

ホテル前の道から市内中心部を望む

ホテル前の道から見るモンブラン山群
モンブラン
ホテルを8時に出発し、いよいよモンブランの観光へ。日本を出る前にインターネットで気温を調べたら、夏でも氷点下になるとかかれてあったので、長袖のシャツに厚めのジャンバー、そして手がかじかんでシャッターが押せなくなると困るので薄めの手袋を用意してバスに乗ります。
モンブラン観光の拠点であるクールマイヨールのラ・パリュー(標高1,370m)に着いたのは出発してから45分後。ここからロープウェーでモンテ・フレティ(標高2,173m)を経由してプンタ・エルブロンナー(標高3,462m)に昇ります。アオスタの気温が18度であったのにここの気温は8度の表示、ちょっと寒いがまだ大丈夫。

ラ・パリューのロープウェイ乗り場

ラ・パリューで見るモンブラン山群

プンタ・エルブロンナーから見るダン・デュ・ジェアン(標高4,014m)

プンタ・エルブロンナーから見るモンブラン(右 標高4,807m)とダン・デュ・ジェアン
エギーユ・デュ・ミデイ展望台
プンタ・エルブロンナーで少し休んでから更にロープウエーでエギーユ・デュ・ミデイ展望台(標高3,842m)まで昇ります。エギーユ・デュ・ミデイ展望台の温度計は氷点下1度を示していましたが風があまりないせいかこらえきれない寒さではありません。しかし、ここについてから高山病に罹り始めたのか、眩暈や息切れがしだし、女房は少し心臓が痛いと言い出すしまつ。下に下りれば直るので、添乗員さんに断って早めにシャモニーまで下山です。
エギーユ・デュ・ミデイ展望台に昇る途中ですれ違い、プンタ・エルブロンナーに下るロープウェー
下はヴァレー・ブランシェ氷河です。
ヴァレー・ブランシェ氷河のクレパス

ダン・デュ・ジェアン

シャモニー針峰群(標高3,642m)

エギーュ・デュ・ミディ展望台から見るモンブラン山群

奥の中央やや左よりがマッターホルンと中央奥のやや右よりの山群がモンテ・ローザモンテ・ローザ

グランド・ジョラス(標高4,208m)
シャモニー
エギーユ・デュ・ミデイ展望台からシャモニーまではロープウエーで10分くらい、着いた頃には上での眩暈や息切れはすっかり解消。
お腹が減ったとレストランを探していたら「中華」の看板。「ラーメン」を頼んだのが大間違い、中国人?経営の店でダシはただ醤油で色づけたのみでこくがなく、麺はうどんっぽいけどまるきり腰がなく、ラーメンと呼べる代物ではない大失敗でした(値段だけは一流並み)。

シャモニーから見るヴァレー・ブランシェ氷河

ロープウエー
アオスタへ
シャモニーを出たのが2時過ぎ、モンブラントンネル(全長11.7km)を通ってアオスタに向かいます。積雪により迂回を余儀なくされていたのが1965年の開通により、かなり時間短縮ができるようで、アオスタに戻ったのは3時過ぎ。夕方まで市内のローマ遺跡見学と自由散策です。
アウグストゥスの凱旋門
紀元前25年に勝利を祝って建てられたとのことですが、他の凱旋門とちょっと変わっているのは門の中央に十字架にかけられたキリストの像があるところです。
サントルソ教会
10世紀に建てられたこの教会はアオスタで一番古い教会とのことで、訪れたときは発掘が行われていましたが、テントで囲ったところを覗いてみるとなんと人骨が!!それも一体ではなくかなりの数が埋葬されていました。(右は鐘楼です。)

ローマ劇場

フロマージュの塔

市役所(左側)前の広場

街中のロータリーではこのように季節の花が一杯です
街中を散策してホテルに戻ったのは6時ちょっと前、明日はいよいよマッターホルンです。
 
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