ベルリンとポツダム
 
前日成田からJALでパリ経由でベルリンに着いたのが夜の10時過ぎ、ポツダム近くのホテルに入ったのが11時とかなり遅れての到着となりましたが、朝6時45分のモーニングコールで起こされ観光スタートです。といっても今日は連泊なので少し楽ですけど。
ベルリンの壁
ベルリンを西と東に分断していたこの壁、1961年8月13日に有刺鉄線による最初の壁が作られ、その後すぐに石造りの壁の建設となり、最盛期には全長155kmにも及んだといい、1989年11月9日に破壊されるまで、多くの悲劇を残すこととなりました。
崩壊後は破砕されて道路舗装のリサイクルや観光客のお土産用になったりしましたが、この悲劇を忘れないために『負の遺産』として残すこととなり、「テロのトポグラフィー」前に残されています。

 
道路には壁の跡を示す標識として埋め込まれており、市内のあちこちで見かけます。
テロのトポグラフィー
かつてナチス時代にゲシュタポがあった場所で、数々の残虐行為が行われたことをパネルで地下に展示しています。
上の写真の壁はこの前にあります。
マルティン・グロピウス・バウ(旧美術工芸美術館)
テロのトポグラフィーの隣にあり、第2次世界大戦で爆撃されて焼失しましたが戦後再建され、現在は各種展示や講演会等が行われています。
連邦議会議事堂
19世紀の終わりに建てられた「帝国議会議事堂」は、1933年に不審火により炎上、統一後8年をかけて改修され連邦議会の議場となっています。
ブランデンブルグ門
18世紀の後半にアテネの神殿を見本にしてプロイセン王国の凱旋門として建てられ、門の上には勝利の女神と4頭立ての馬車(カドリガ)があります。壁があった当時はこの門をくぐることはできなかったようです。
ここを訪れたときは、サウジアラビアの国王がドイツを訪問し、すぐそばのホテルに泊まっているとかで、厳戒態勢がしかれていました。

 
6月17日通りから見るブランデンブルグ門
かつて「スターリン通り」と呼ばれていたこの道は、この道で行われていた工事が過酷な労働条件であったためストライキが発生し暴動に発展、成立間もない東ドイツ軍が鎮圧した際に多数の犠牲者を出したことから、「6月17日通り」と改称されたとのことです。
ベルリン大聖堂
16世紀の半ばにホーエンツォレルン家の菩提寺として建てられ、幾たびかの改修と第2次世界大戦による被害の修復が行われたこの大聖堂は、プロテスタント教会建築として最大規模を誇り、ドームまでの高さは114mもあるそうです。
ベルガモン博物館
ウンターリンデン通りのシュプレー川の中洲にあるこの博物館は、ほかの博物館とあわせて1999年に「ムゼウムスインゼル(博物館島)」として世界文化遺産に登録されており、トルコのベルガマで発掘された「ゼウスの大祭壇」や古代バビロニアの「イシュタール門」などの遺跡がそのまま展示されています。
カイザー・ヴィルヘルム記念教会
ベルリンのツォー駅の近くにあるこの教会は、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世を追悼するために1895年に建てられたものですが、1943年のベルリン大空襲で破壊され、戦争の悲惨さを伝えるために修復せずに崩れたままの姿で保存されています。
ポツダム
ポツダムといえば「ポツダム会談」あるいは「ポツダム宣言」を思い出すのは歳のせいでしょうか。ベルリンからバスで30分くらいのところにあるこの街はブランデンブルグ州の州都です。
古くは14世紀の半ばにホーエンツォレルン家の宮殿が置かれたり、18世紀の半ばにはフリードリヒ大王が建てた宮殿などがあり、1990年に「ポツダムとベルリンの宮殿群公園軍」として世界文化遺産に登録されています。
 
自動車レースの観覧席
ベルリンとポツダム間のアウトバーン沿いにあるこの観覧席、かつてはここがレーシング場で、その観覧席だったとか。
黄葉
ホテルのそばを流れる川のほとりで朝方に撮った写真です。こちらの場合、赤く紅葉する木は少なく、写真のように黄色くなる木のほうが多いようです
ツェツィリエンホーフ宮殿(1990年に「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」として世界文化遺産に登録)
1917年にヴィルヘルム2世のために建てられたこの宮殿は、第2次世界大戦も末期の1945年7月17日に米英ソの首脳が集まり、日本の終戦について話し合いが行われた場所(いわゆる「ポツダム会談」)、ポツダム宣言がまとめられた場所として知られています。
建物はどちらかというと、宮殿というより大きな民家といった感じがします。なお建物の内部は会談が開かれた当時のまま保存されていますが、写真撮影は禁止となっています。
サンスーシー宮殿(1990年に「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」として世界文化遺産に登録)
サンスーシーとはフランス語で「憂いのない」という意味だそうで、プロイセン王のフリードリヒ大王が夏の居城として18世紀の半ばに、自らが設計に加わってロココ様式で建てられています。
宮殿前の庭は階段状のぶどう園となっており下から見る景色がよいようですが、晩秋のこの時期に加えて訪れた時間が遅かったため内部の見学ができず、又、日没近くとあって一寸暗い写真となったのが残念です。
ここにあるフリードリヒ大王の墓には観賞用であったジャガイモを食用に奨励したとのことで、いつもジャガイモが供えられています。
 

内部には12の部屋があります

大理石の間

こちらは宮殿の裏側になります

6段のブドウ畑の奥にあるのが宮殿です

フリードリヒ大王の墓

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