ビトラ
 
   
オフリドから約1時間半で午後1時過ぎにビトラに到着、レストランで昼食です。
ここビトラはマケドニアの南部にある町で、首都スコピエに次ぐマケドニア第二の都市です。町は標高650m近い高地にあってギリシャとの国境に近く、オスマン帝国時代には「マナストゥル」という名で呼ばれており、1908年にはアルバニア語表記法の標準化を図るマナスティル会議が開かれた町です。
マナスティル会議とは、会議開催まで6種類あったアルバニア語を表現する表記法と加えて多くの方言を統一するための会議で、開催された日は「アルバニア文化にとっても最も重要な日のひとつ」となっているとのこと。




        
ヘラクレア遺跡

   
 町の中心部から2㎞ほど離れた所にあるこの遺跡は紀元前4世紀の半ばころに、アレキサンダー大王の父である古代ギリシャのマケドニア王国のフィリップ2世(ピリッポス2世或はフィリッポス2世とも表記されています。)によって築かれ、その後ローマ帝国に征服され町で、現在あるのはローマ時代の遺跡です。町はビザンチン時代に発生した地震により壊滅状態となり再建されることなく現在に至ったようで、イタリア政府の協力により発掘が行われていますが、現在見えているのは全体の約1割程度とか。(撮影は有料で2€)
        
   
公衆浴場跡、サウナもあったようです。  
        
   
小バジリカの教会跡      
       

   
大バシリカ教会跡   洗礼堂跡にはモザイク画が残っています。  
        
  この下には古代の町の跡が残っているようです。  
        
  大広間跡には大きなモザイク画が残されています。古代遺跡によくあるモザイク画ですが、これだけ大きいのはあまり見かけないです。大きな地震の被害を受けたとのことですが、すべて修復したのでしょうか。  
        
   
        
   
        
   
        
 
 
古代の水道管   噴水跡  
        
   
ローマ皇帝ハドリアヌスが造ったといわれる3000人が収容できる円形劇場  
       
   
円形劇場から見る遺跡  
        
午後4時少し前にヘラクレアの遺跡の観光を終わり本日の宿のあるスコピエに向けて出発です。  
     
   
バスの窓から外を見ていると見なれない花が、たばこの栽培とのこと。取った葉は右の写真のように乾燥して出荷するようです。  
     

 
 
出土した2世紀ころの悲劇的なマスク    
     
     
旅も終盤、明日はスコピエを観光してから最後の訪問国コソボです。  
      
      
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