ブルガリア

正式名称ブルガリア共和国はバルカン半島に位置する東ヨーロッパの国です。ブルガリアの歴史は古代にこの地に住んでいたトラキア人までさかのぼることができるようで、東ローマ帝国時代の7世紀頃に第一次ブルガリア帝国が建国されたとのことです。その後東ローマ帝国、オスマン帝国の支配を受け続け20世紀初頭にブルガリア王国として独立するものの、第二次世界大戦終盤にソ連軍の侵攻によりその支配下に入り1989年まで共産党政権が続きました。
ブルガリアといえば大相撲の「琴奥州」そして「ヨーグルト」が思いつきますが、ヨーグルトがチョット苦手な私としては毎回の食事がどんなものか不安がある旅でした。

ソフィア
成田を1時間半遅れで出発したためソフィア空港に着いたのは7月10日の夜9時半過ぎ、ホテル着は11時を回っていましたので夜景の写真を撮ることもなく早めにベッドに。今日7月11日は、朝8時にホテルを出てソフィア市内の観光からツアースタートです。
ブルガリアの首都であるソフィア、人口は約130万人といいますから、日本でいえばさいたま市くらいでしょうか。ソフィアはヨーロッパ最古の都市のひとつとのことでその歴史は7000年前までさかのぼることができるようです。市内にはその歴史を物語る遺跡もいくつか発見されており、古代トラキア人が利用していたといわれる鉱泉が今でも湧出してお、り公共温泉浴場も完備しているとか、温泉大好きの私としてはチョット立ち寄りたい気分です。
 
  まず最初の一枚はソフィアの朝の写真です。
ホテルそばにある遊園地の観覧車と朝焼けです。
 
ソヴィエト支配下の銅像の類は撤去されたとのことですのでこの銅像は解放の喜びを表すものなのでしょうか。  
   
アレキサンドル・ネフスキー寺院
アリキサンドル・ネフスキー大聖堂とも呼ばれるこの教会は、1912年にブルガリア正教会の本拠地としてネオビザンチン様式で建てられたもので、黄金のドームが特徴的なソフィアのシンボルです。内部にはイコンが数多くありますが、イコンは絵画ではなく信者を導くための祈りの道具とされているため撮影禁止となっています。
 
 
 
   
桜贈呈の碑
碑文には「日本・ブルガリア国交回復40周年を記念して日本よりソフィア市に桜を50本寄贈する」とあり、日付は1999年10月18日付となっています。
付近に桜の木がありますので春には花見ができるのでは。
 
   
聖ソフィア教会
初期ビザンチン様式で6世紀に建てられたこの教会はアレキサンドル・ネフスキー寺院のすぐそばにあり、ブルガリアで最も古い教会のひとつです。オスマントルコの時代にはモスクに改造され内部の壁画はすべて削り取られたのことで、解放後は倉庫として使われていたとか。
この写真は横から撮ったものですが、下部にある花は無名戦士のためのモニュメントです。
 
   
聖ソフィア教会横のライオン像
ブルガリアの国章には3匹のライオンが描かれており、ブルガリアの象徴となっています。
 
   
市民庭園と道路元標
市民庭園(公園)は聖ソフィア教会とは道路を挟んで反対側にあり、中央にブルガリアの道路のゼロポイントとなる道路元標が建てられています。
              
   
聖ニコライ・ロシア教会
「ソフィアのロシア教会」と通称されているこの教会はロシア正教の聖堂で、オスマン帝国から解放された19世紀末に、この地にあったモスク跡にロシア復興様式で建てられたもので、金色に輝く5つのドームが特徴的です。
 
   
セルディカの古代要塞遺跡
大統領官邸前の地下道にあるこの遺跡、古代トラキアのセルディ族が温泉のあるこの地に住み始め「セルディカ」と名づけたのがソフィアの始まりとのことで、ローマ帝国時代の2世紀後半に要塞を築いたものが残されています。
 
   
 
   
 
大統領官邸(上左)と官邸前の衛兵(上右)  
      
国民議会
19世紀末にネオルネサンス様式で建てられたものでブルガリアの文化的建造物に指定されており20レヴァ紙幣の裏面に何度か描かれています。
 
 
聖ゲオルギ教会(聖ゲオルギ丸教会)
大統領府の中庭にあるレンガ造りのこの教会はソフィア市内で最も古くローマ皇帝コンスタンティヌスT世の時代である4世紀の初めに建設されたといわれている丸型の建物(ロタンダ)となっています。教会の隣にはローマ時代の浴場の遺跡も残されています。(内部は撮影禁止です。)
(左の写真は大統領府の通用門側から撮影)
            
   
 
   
聖ソフィアの像
地下鉄セルディカ駅の上に建つ像で、右手に月桂冠(勝利)を持ち、左手にはフクロウ(知恵)がとまっています共産党政権時代にはこの場所にはレーニン像が建てられていたとか。
 
   
聖ペトカ地下教会
セルディカ駅の隣にあるブルガリア正教の教会で、オスマン帝国支配下の時代はイスラム寺院より高い建物を建てることが許されなかったためこのような半地下式の建物となったようです。
 
   
バーニャ・バシ・ジャーミャ(バニャ・バシ・モスク)
16世紀の半ばに建てられたモスクで、オスマン帝国を代表する建築家ミマール・スィナンの設計によるものだそうです。
 
   

中央市場

ブッドレア
 
   

ムクゲ

牛蒡の花
 
   
   
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