コインブラ

ポルトガルの中部にあるコインブラ(Coimbra)、古代ローマ時代にはアエミニウムと呼ばれて1世紀にはローマ人によって街が築かれた街で、5世紀には西ゴート族、7世紀にはイスラムの支配を受けています。レコンキスタ後のコインブラは、1131年にアフォンソ1世によってポルトガル王国の首都となり、コインブラ大学が1290年に創設されると、ポルトガルの文化的中心地として大きく発展しました。現在でも旧市街には当時を物語る建築物が多く残されています。
ここコインブラは、コインブラ大学のあるアルタ地区と、サンタ・クルース修道院があるソフィア地区を含めて、「コインブラ大学ーアルタとソフィア」の名で、2013年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。

街の観光は、コインブラ大学からスタートです。ツアー出発時点で、ジョアニア図書館は入場の予約が取れていないと連絡があり、ツアー中も「まだ駄目です。」といわれていましたが、旅行会社の努力により、なんと「入場可能となりました」と添乗員さんからの報告。参加者一同大喜び。(といっても私は12年前に訪れたとき入場しているので2回目となります。)
 
   
 
 
鉄の門
別名「無情の門」とも呼ばれる旧大学への入口となる門で、1630年代に建てられており、当時の医学、法学などの各学部を象徴する人物の彫像が何体もあります。
門の後ろに見える時計塔は、学生たちにはその鐘の音が山羊の鳴き声に似ていることからカブラ(cabra ポルトガル語で山羊のこと)と呼ばれているようです。
 
     
  鉄の門の入口には大理石を用いたモザイク画があります。このモザイク画はカルサーダ・ポルトゲーザ(Calcada Portuguesa)と呼ばれる石畳で、ポルトガルの街中を歩いているとよく見かけるもので、この画は知の神ミネルヴァを描いています。
また、門の上部にはディニス1世の像、最上部には知の神ミネルヴァの像があります。
 
 
     
  鉄の門を抜けると広い中庭があり、中央にはジョアン3世の大理石像があります。
左の写真で、左端に写っているのがジョアニア図書館です。
 
 
     
 
 
ジョアニア図書館
ジョアン5世の命によって1717年から1728年に建てられた図書館で、自然科学関連書籍を中心として30万冊を超える蔵書や、内装の豪華さは、、「ポルトガル最高級の文化財」、「豪華さという意味では、世界でも一、二を争う図書館」といわれています。
前回訪れたときは、まだ世界遺産に指定される前で、内部の写真撮影ができたのですが、今回は入口に「撮影禁止」の立て札があり、フラッシュを焚かないでも撮影はできません。右の写真は、前回訪れたときに撮影したものです。
 
    
サン・ミゲル礼拝堂
16世紀に造られた礼拝堂で、それほど大きくない礼拝堂ですが、壁一面のアズレージョや天井の装飾、そしてスペインと同じように管が横についている豪華なパイプオルガンがあります。
     
 
   
 
ラテン回廊
かつてこの回廊ではラテン語以外で話すことは禁止されていたとか。
 
 
       
  ラテン回廊から中へ入ると武器の間があります。大学の公式セレモニーの際に、警護の人たちが使用していた「槍斧」又は「斧槍」と呼ばれる槍と斧が一体となったものや儀仗が飾ってあります。

右の写真は壁が黄色いところから「黄色の間」と名付けられており、宮殿として使われていた時代は王の居住区域の部屋で、医学部のシンボルカラーとなっていました。した。カーテンの奥は「青の間」となっています。
 
 
     
  帽子の間
壁に歴代国王の肖像画が掲げられているこの部屋は、かつて宮廷の広間であったところで、総長就任式や学位授与式などの公式式典に使われています。
 
     
   
北側の回廊から見るモンデゴ川   北側の回路から見る旧カテドラル(手前)と旧市街  
     
  新大聖堂
16世紀から17世紀にかけてイエズス会によってバロック様式で建てられたカテドラルで、18世紀になって司教座となりました。
 
     
  国立マシャード・デ・カストロ美術館
大学から旧市街の街中へ行く途中にあるこの美術館は、18世紀の彫刻家ジョアキン・マチャド・デ・カストロに因んで命名されたもので、美術館としては2012年のオープンですが、建物はかつて聖公会宮殿であったものを利用しています。
美術館の地下には、ローマ時代の遺跡が残されています。
右は美術館脇にあったローマ時代の遺構です。
 
 
      
  旧カテドラル
コインブラの旧大聖堂は、ポルトガルとして最も重要なロマネスク様式の建築物で、アフォンソ1世がコインブラを首都と定めた際に、ロマネスク様式で建設され、16世紀に改装が行われネルサンス様式が取り入れらています。
 
 
     
     
 
旧カテドラルから細い道を下り、途中にあるトンネルを抜けてアルメディーナ門に出ます。アルメディーナ門は、中世の城塞の名残です。
道の途中に洗濯籠を抱えた女の像があります。昔モンデゴ川では洗濯する風景がよく見られていたとのことですが、そういえば「ポルトガルの洗濯女」という歌が流行っていた記憶があります。(私も古いですね・・・)
 
   
アルメディーナ門を抜けフェレイラ・ボルジェス通りに突き当たった所で一時解散。昼食の時間は午後1時過ぎとのことで、それまで旧市街を自由行動です。商店街の道なので歩行者専用かと思っていたら、路線バスが走っています。    
     
  コインブラの街あるき、まずはモンデコ川方面へ。フェレイラ・ボルジェス通りを南へ歩くとモンデコ川に架かるサンタ・クラーラ橋に出ます。橋の手前にはポルタジェン広場があり、立憲君主制の時代に3度首相を務めたジョアキム・アントニオ・デ・アギアルの像があります。  
   
  サンタ・クララ橋(左)と橋から見るアルタ地区(右)
中央奥にはコインブラ大学の時計塔が少しだけ見えます。
 
 
       
フェレイラ・ボルジェス通り(左)に戻り、サンタ・クルース修道院を目指します。薬屋さんの温度計は25℃となっています
道は途中で三叉路となり、正面の道はヴィスコンデ・ダ・ルース通り、斜め右の坂道はコルポ・デ・デウス通りとなります(右)。
そのまま真直ぐヴィスコンデ・ダ・ルース通り(右端)を歩きます。
   
 
   
サンタ・クルース修道院
ソフィア地区の、コインブラで最もにぎやかな場所である、5月8日広場(Praça 8 de Maio)に面したこの修道院は、1131年に初期ロマネスク様式で建てられたもので、ポルトガル王国初期における最も重要な修道の館となっていました。修道院は16世紀にマヌエル1世の命で大幅な改築が行われ創建当時の姿から変わったとのことですが、内部のアズレージョが有名です。
右端の写真は、正面ファサードです。
   
 
     
   
 
修道院内部(上)と壁面のアズレージョ(下)  
 
   
  サンタ・クルース修道院の裏に市営の市場があるので寄ってみることに。
5月8日広場通り沿いに市庁舎(左の写真)があり、オリンピオ・ニコラウ・ルイ・フェルナンデス通りに曲がって、少し行った右側に市営市場(右の写真)があります
 
 
   
     
 
市場は品数が豊富です。ポルトガル名物の干し鱈(こちらではバカリャウというようです。)、蛸、鯵、鮭、鰯などの鮮魚やトマトやピーマン、人参、カリフラワーなどどれも新鮮です。  
   
市場のあるオリンピオ・ニコラウ・ルイ・フェルナンデス通りには、何枚もアズレージョが描かれています。    
 
   
そろそろ昼食の時間です。集合場所のアルメディーナ門のところに戻らなければなりません。  
   
  サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道標
街中で見つけたホタテ貝の道標は、サンティアゴ・デ・コンポステーラーの巡礼路の道標です。
スペインの聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへ至る巡礼路は「フランス人の道」、「アラゴンの道」が有名ですが、巡礼ルートはいくつもあり、ここポルトガルもリスボンからサンティアゴ・デ・コンポステーラ迄約615kmの「ポルトガル人の道」があります。
Googleマップで見ると、リスボンからコインブラまでは約1/3の距離、ここからまだ約400kmあるようです。
 
  ファティマへの道標
こちらもレストランそばの曲がり角にあった道標。
ここから聖地ファティマまでは約86kmあるようですけど、巡礼者たちはこの道標を頼りに歩いているのでしょうか。
 
      
 
 
        
        
 レストランで昼食をとった後に、”ポルトガルのヴェニス”とも呼ばれる運河のある街アヴィロに向けて移動開始です。  
        
        
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