ケルン

ザンクト・ゴアールを出発して約2時間でケルンに到着です。夏のヨーロッパの日没は午後10時過ぎ、午後6時はまだ日も高いので、ホテルで夕食をとったあとでに皆でケルン大聖堂まで腹ごなしの御散歩です
 
       
ケルン大聖堂

ケルン旧市街のアルトシュタットにあるゴシック様式の大聖堂、正式名称はザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂といい、初代の聖堂が建てられたのは4世紀といわれており、最も古い聖堂として知られており、2代目が818年に完成し、12世紀後半に東方三博士の聖遺物が置かれたことから多くの巡礼者を集めていました。2代目の聖堂は1248年に火災で焼失、直後に再建がスタートしましたが、宗教改革を発端に財政難に陥り再建は中断。本格的な再建がスタートしたのは1842年のことで、完成は再建開始から600年以上経過した1880年のことです。
大聖堂の高さは157mあり建設当時では世界最大のものでした。その後第二次世界大戦では連合軍の爆撃を受け、内部は破壊されましたが全体が崩れ落ちることはなく、復旧工事が行われて元の状態に復元されました。
この大聖堂は1996年にユネスコの世界文化遺産に登録され、一時期は周辺の高層建築物計画による景観破壊の危機にさらされ、危機遺産に指定されましたが、その後の市当局の努力によって解除されています。
(一部翌日撮影写真があります。)
   
   
正面から見る大聖堂
大聖堂前の広場で撮影しましたが、あまりにも高く全体を撮るのは24mmの広角でもギリギリです。広場には聖堂先端部の模型が置かれていて日本語でも説明があります。
この先端部、高さ9.5m、幅4.6mがあるそうです。
   
 
 
     
   
西正面のファサード  
        
   
大聖堂の内部身廊は天所までの高さ約44mあります。   
   
     
 
     
東方三博士の遺骨を納めた黄金の棺
正面の淡河雲の柩に遺骨が納められているとのことですが、近くまで寄って撮影することができません。
東方の三賢者または東方の三賢人と呼ばれているのは、イエス誕生の際にやってきて、拝んだ人と新約聖書にあらわされているようで、西洋では7世紀から、メルキオール(Melchior)[黄金。王権の象徴、青年の姿の賢者]、バルタザール (Balthasar)[乳香。神性の象徴、壮年の姿の賢者]、そしてカスパール (Casper) [没薬。将来の受難である死の象徴、老人の姿の賢者]とされています。
   
        
ホーエンツォレルン橋(Hohenzollernbrücke)
1907年から1911年にかけてライン川に架けられた橋で、全長は約410mあり、建設当初は、鉄道と街路の両方の橋が架けられていましたが、第二次世界大戦時の1945年の3月に破壊され、大戦後に再建されたものです。現在は鉄道橋梁の隣に歩行者用の橋があり、アルトシュタットと呼ばれる旧市街とメッセのある新市街を行き来できます。橋の欄干にはおびただしい数の「愛の南京錠」と呼ばれる鍵がぶら下っています。橋に鍵をぶら下げるのはどこでも見かけますが、これだけ数の多いのは初めてです。欄干が壊れるので適宜カッターで壊して取り外しているようですが、イタチごっことなっているようです。
 
   
   
ケルン中央駅
ホーエンツォレルン橋の西側にあり、ケルン大聖堂は駅の目の前という位置にあるこの駅は、一日当たりの利用客数は25万人でドイツ有数の駅となっています。
大聖堂が目の前ということで、ジョークで「駅礼拝堂」といわれることもあるようです。
   
     
ライン公園(rheingarten)
ライン川沿いにある公園で、ホーエンツォレルン橋とドイツァ―橋の間にあります。撮影した時間は後9時過ぎですが、金曜の夕方(? 日本でしたら当然夜ですけど)とあって勤めを終えた人たちがのんびりと過ごしています。公園の奥に見えるのは聖マリティン教会です。
   
     
ケルン旧市庁舎
旧ユダヤ人街の一角に14世紀にゴシック様式で建てられたもので、壁には1963年6月23日にアメリカのケネディ大統領が訪れ、ここでスピーチをしたという碑が残されています。
     
 
   
聖マルティン教会
ゴシック様式の建物が多いケルンですが、中世の時代には10を超すロマネスク様式の教会があったとのことで、旧市街にあるこの聖マルティン教会もそのうちのひとつで、12世紀半ばから13世紀の半ばにかけて建てられ、第二次世界大戦の被害を受けて、1985年に修復が完了しています。
   
 
   
ハインツェルメンヒェン(Heinzelmännchen)の噴水
アルターマルクト広場にあるこの噴水、別名「ブルーニの噴水」とも呼ばれています。
ハインツェルメンヒェンとはグリム童話に出てくる小人の妖精のことで、その昔ケルンの町の肉屋や仕立て屋に住んでいて、店の人たちが寝静まると、残っている仕事を夜中に仕上げてくれたという話のようです。それで中央の女性がランタンを持ってるのですね。
   
 
      
古代ローマ時代の遺跡
1世紀ころにローマのコロニア(植民都市)として創設された記録が残るケルンには、ローマ遺跡が多く残されているようです。右の写真は要塞の城壁、そして下水道設備の遺跡ですが、詳しく調べることができません。
   
 
        
ヤン・ファン・ヴェルトの噴水
アルターマルクト(旧市場)にあるこの噴水は、三十年戦争で功績をのこしたヤン・ファン・ヴェルトを讃えて1884年頃に造られたといわれています。
    郵便ポストと公衆電話
黄色のが郵便ポストで、ドイツでは日本より15年ほど早く民営化が行わており、ポスト横にあるロゴマークはカタツムリのように見えますが、帝国郵便時代に用いていた「ラッパ」です。
右側のは公衆電話ですが、ボックス型の公衆電話はほとんど見かけず、このようなものが多くありました。

使われなくなった電話ボックスは、本をシェアする場所として用いることにしているとのことで、置いてある本を読みたい場合は自分が1冊寄付するようになっているようです。
 
 
     
  大聖堂がライトアップされるのではないかと、皆で午後10時近くまで待ちましたが、点灯されずあきらめてホテルに。私の部屋は西側を向いていたので見れませんでしたが点灯されたのは10時半過ぎとか。
この写真は午後11時ちょっと前、西の空はまだ夕焼けが残っています。
高い塔はケルンテレビ塔で、1981年に完成したもので、高さは252.9mあります。
 
        
 
 
     
     
     
     
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