城塞都市ドゥブロヴニク

アドリア海に面し「アドリア海の真珠」とも謳われる古い港街ドゥブロヴニク。街の起こりはローマ帝国以前からとも言われており、イタリア語でラグーサと呼ばれるこの街は中世の時代「ラグーサ共和国」として海洋貿易で栄え街を守るため堅固な城塞都市が築かれました。
街は1806年ナポレオンが率いる軍隊に包囲され、ロシア・モンテネグロ艦隊の3,000発の砲撃によって共和国は陥落フランスの支配下に、更に1814年オーストリア=ハンガリー帝国によって支配されハプスブルク領ダルマチア王国となり、この支配は世界大戦まで続きました。 
第一次大戦後にセルブ・クロアート・スロヴェーン国が発足したときに街の名前がラグーサから現在のドゥブロヴニクに変更され、第二次世界大戦後ユーゴスラビアの一都市となりましたが1991年の6月にクロアチア独立時にその都市となっています。
街の旧市街は「ドゥブロヴニク旧市街」として1979年にユネスコの世界文化遺産に登録されましたが、1991年の10月1日にユーゴスラビア人民軍(JNA)が攻撃を開始し、その後ドゥブロヴニク包囲が7ヶ月間続いたことにより大きな被害を受けたものの、現在では一部でその傷跡が残るものの見事に修復が行われ大勢の観光客でにぎわっています。
 
朝8時半ホテルを出発し、旧市街の観光スタートです。まずは旧市街の眺望が素晴らしいといわれるところにバスは進み写真タイムですがあいにくの曇り空です。
 
   
   
      ピレ門
旧市街への入口となるこの門は西側に位置しており陸、海等からの攻撃に耐えられるよう強固な造りとなっており、濠を渡る橋は当時跳ね橋構造で、日没になると門を閉じていたとのことです。
門の上にあるのはこの街の守護聖人ヴラホの像で、ヴラホの像は街のあちこちで見かけられます。
 
 
   オノフリオの大噴水(左)
ピレ門を入ってすぐの広場にある壁面に16のレリーフがあるこの噴水、市民のために15世紀にナポリの建築士オノフリオに依頼して造ったもので、ここから10キロメートル以上離れたスルジ山の源泉から送水していました。
右の写真は市庁舎前にある小噴水です。
  
 
 
旧市街のメインストリートであるプラツァ通り、正面にはスポンザ宮殿の時計塔(上左)が見えます。右上は城壁から撮影。
 
スポンザ宮殿
プラツァ通りの突き当たりにあるルジャ広場の左側に1516年にゴシックとルネサンスの複合様式で建てられたこの宮殿、貿易として栄えたドゥブロヴニクの物資等の保管場所として、税関・保税倉庫として使われていたとのことで、1667年に発生した大地震でも倒壊しなかった数少ない建物そうです。現在は古文書館として使用されています。
 

市庁舎の鐘(市庁舎と時計塔の間にあります)

市庁舎の時計塔
 
ルジャ広場にあるローラント像
ちょうどスポンザ宮殿の前にありますが、ローラントは中世ルネサンス期の文学作品でカール大帝の聖騎士として登場する人物で、ドイツのブレーメンでは独立と自由の象徴として建てられているそうですが、この像はドイツ以外では唯一のローラント像でやはり自由の象徴とされています。
ローラントの剣を持っている右腕の手から肘までは51.2cmあるそうですが「ドゥブロヴニクの肘」と呼ばれ商取引の基準としてされていたとのことです。
 

旧総督邸

広場の一角での青空市場
 

大聖堂

旧港と聖イヴァン要塞
 
旧市街はその周囲を高さが平均して20m以上、壁の厚みも3mから6m近くもある城壁で囲まれており、その四隅に要塞があります。まさに城塞都市」という感じです。城壁を一周すると約2kmあるとのことですが、ツアーでの見学は途中で終了し、30分ほど自由散策となりましたのでぐるっと回ってみることにしました。城壁から見るとオレンジ色の屋根の色が違うことが判ります。黒ずんだ屋根は古くからのもの、明るい屋根は独立時の紛争による被害を受け修復されたものです。
なお城壁は写真を撮りながらゆっくり回っても一時間あれば一周できます。
 
 

城壁とミンチェタ要塞(奥)

ドミニコ修道院の鐘楼
 

城壁から見る旧市街とロクルム島

オレンジ色の屋根が続く旧市街
 

ミンチェタ要塞

城壁とボカール要塞(旗の立っているところ)
 

城壁から見るプラツァ通り(手前の鐘楼はフランシスコ会修道院の鐘楼)

城壁から見るピレ門
 

ボカール要塞(手前右)とロヴリィエナッツ要塞(左)
 
 
   
 
 
聖イヴン要塞と旧港
沖合いにクルーズ船が着いたところで、観光客が下船のため小型船に乗り換えて港に着きはじめています。
  
   
 
 
城壁を一周してから昼食をとり、モンテネグロのコトルに行くオプションに申し込んでいたのですが、昼食途中で腹痛となり(原因は昼食前にとったアイスクリームにあるみたいですが・・・)残念ながら断念し、様子を見ながら早めにホテルに戻ることとしました。でも持参していた下痢止め薬が効いたのか小一時間くらいで腹痛も治まったので、更にしばらく旧市街の見学をすることとしました。
今度は先ほど見たロヴリィエナッツ要塞まで足を伸ばして逆方向から旧市街を眺めてみることに、ピレ門から5分くらいで到着します。
 
 

ロヴリィエナッツ要塞の入口
        
 
要塞内部
    

ロヴリィエナッツ要塞から望むドゥブロヴニク旧市街
 
 
 
 

ホテル裏の海岸で撮影したアドリア海の夕焼け
  
          ドゥブロブニクの地図


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