クロアチア
 
9世紀の終わりに独立国家としてローマ教皇から認められ、トミスラヴ1世のもとに繁栄しだしたクロアチアも、同王の死後後継者争いから内乱が始まって、11世紀にはこれに目をつけたハンガリー王国の支配下となり、15世紀にはオスマン帝国、18世紀にオーストリア、そして19世紀の半ばにオーストリア・ハンガリーと時代の波に翻弄され続け、1918年第一次世界大戦後にセルビア・クロアチア・スロヴェニア王国として独立し、以後ユーゴスラビアと改名するに至りました。
しかしながら多民族国家であるユーゴスラビア内でクロアチア人とセルビア人の対立がくすぶり続け、若干の紛争の後に1991年6月にクロアチアが独立宣言を行いました。しかしながら同年9月クロアチア内に住み独立に反対しているセルビア人との間でクロアチア紛争が勃発、これにボスニア・ヘルツェゴビナの紛争も加わり1995年の紛争集結までの間に、多数の犠牲者や難民が出るという悲劇を生んだことは私たちの記憶からまだ消えてはいません。
紛争解決後のクロアチアの復旧はかなり進んでいますが、街中を歩くとまだ建物の壁に銃弾の残る家が散見されます。或いは負の遺産として残しているのかもしれませんが。

今回の旅は当初4ヶ国訪問でしたが、途中ドゥブロヴニクで体調不良が発生し3ヶ国となってしまいました。それでも念願のドゥブロヴニクやプリトヴィッツェを観光できたのであまり不満も残らない旅となりました。
 
 

ロヴリィエナッツの要塞から見るドゥブロヴニクの街並み
 
   リエカとイストラ半島の街々       ザダルとシベニク               トロギルとスプリット   
 
   城塞都市ドゥブロヴニク         プリトヴィッツェ湖群国立公園      ザグレブ    
 
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