エフェソス遺跡とパムッカレ観光

前日ベルガマからイズミールに移動して宿泊、今日はイズミール近郊のセルチュクに寄ってからエフェソスの遺跡を観光し、ギリシャ人が住んでいたシリンジェ村を見学してパムッカレまで約270kmの移動です。
  
  アルテミス神殿の柱

かつて世界の七不思議の一つにあげられたこの神殿は、7回建設され、7回破壊されたという歴史を持つそうです。紀元前356年に自分の名前を歴史に残したいという男により放火され炎上したこともあるとのこと。最盛期には大理石でできたこの柱が127本あるパルテノン神殿より大きい建物だったそうですが、現在はこの1本が復元されて残っているだけです。柱の上に止まっているのはコウノトリ(シュバシコウ)です。
写真左手前のドームは「イーサ・ベイ・ジャミイ」と呼ばれる14世紀に建てられたモスク、左後方はセルチュクの城塞です。後方中央の柱は聖ヨハネ教会の修復された柱です。私としては、こちらのほうを見学したかったのですが、このあと革製品店に立ち寄るとのことで、わずか数分の見学で終了とのこと。残念!!
聖母マリアの家
 
聖母マリアはキリストが死んだ後にこの地に移り余生を送ったとのことであり、その家の跡に建てられたのが左の写真の教会です(内部は撮影禁止)。右の写真は「聖なる泉」です。
 
エフェソス都市遺跡
 
エフェソス(「エフェス」とも呼ばれています。)は紀元前10世紀頃から栄えていた古代ギリシャ人の都市で、紀元前2世紀にローマ帝国の属領となり繁栄していたとのことで、地中海東部では保存状態の良いローマ遺跡として多くの観光客が訪れるところですが、まだ世界遺産に登録されていません。
ローマ時代の遺跡はこれまでに何ヶ所か訪れましたが、その規模は他の遺跡に比べて遜色のないものと感じたのですが、修復方法や内容に問題があるために世界遺産に登録されないとも言われているそうですけど、チョッと残念ですね。
 
2015年開催のユネスコの世界遺産会議において「エフェソス」の名で登録決定
  ヴァリウスの浴場
2世紀頃に建てられたローマ浴場跡で、市民の社交場として、温水浴、冷水浴、マッサージ室、脱衣室等が完備していたといわれ、いわば今の健康センターでしょうか。
  国営アゴラと水道管
紀元前1世紀頃に造られた国家管理の集会場で、政治、宗教等の重要行事が行われた場所です。
手前の水道管は、石灰質の多い水であったせいか内部に石灰質が付着して白くなっています。
  オデオン
2世紀の半ばに建てられたという音楽堂で、当時は屋根もついていて1500人位を収容してコンサートや会議も開催されたようです。
  プリタネイオン
紀元前3世紀頃に造られ、エフェソスの女神ヘステの聖火が日夜灯り続けた場所で、その後、評議会の場所として使用されたそうです。
メミウスの記念碑
紀元前1世紀に建てられたもので、エフェソスを平定したローマの独裁官スラ、その子ガイウス、孫のメミウスの3代の支配者を祭るためのものです。
 
  女神ニケのレリーフ
ヘラクレスの門の上部にあったものですが、下に落ちたままとなっています。写真では判りませんが、みんなが触るのでしょうか、右の乳房がつるつるでした。
クレティア通り
石畳の坂道が国営アゴラからセルススの図書館まで続いていており、見学の観光客でなかなかシャッターチャンスが訪れませんでしたが、数分待って漸く撮ったものです。右の写真は通りの脇にあるモザイク模様です。
 
  トラヤノスの泉
2世紀のはじめごろに造られた皇帝トラヤノスのにささげられた泉です。
  ハドリアヌス神殿
西暦138年頃に造られたもので、クインティリウスという裕福な市民が皇帝ハドリアヌスに献上したものといわれています。
  共同トイレ
大理石で造られたこのトイレは、男女兼用で仕切りもなく、下には水が流れています。
  セルスス図書館
統治者セルススを偲んで息子のティベリウスが建立したもので西暦117年に完成。2階建てのこの図書館には1万冊を超える蔵書があったとされていますが、3世紀の半ばのゴート人の襲撃で焼失したそうです。1階の壁には知識、学識、聡明そして高潔を象徴する4体の像の複製があります。
  マゼウスとミトリダテスの門
セルスス図書館とくっついていますが、商業アゴラの南門にあたります。マゼウスとミトリダテスの二人は皇帝アウグストスの奴隷であったものが解放されて後に経済的に成功し、皇帝一族に寄進したものといわれています。
  大劇場
紀元前3世紀に造られたこの劇場は、収容人員25,000人で観客席の高さ38m、直径158mの半月形で、ローマ期のものとしては最大級の古代劇場です。あまりにも大きくて数十m離れても全景を入れるのがやっとでした。
  港通り(アルカディアン通り)
写真は大劇場のそばから撮ったものですが、港まで続く500mのこの道は紀元前1世紀頃に造られたもので、当時は道の両側に商店が並んで夜には街灯も灯されたとのことです。
 
シリンジェ村
 
エフェソスからパムッカレに行く途中立ち寄った村で、シリンジェのシリンとはトルコ語で「かわいい」という意味だそうですが、かつてはギリシャ系住民の住む村であったのが192年の住民交換でトルコ人が住むようになったとのことで、山の斜面に同じような形をした古い家並みが並んでいます。ここではワインとレースが有名なようですが、あまりお店も見かけないひっそりとした村でした。

 
 
 

ヒエラポリス遺跡とパムッカレ観光
(「ヒエラポリス・パムッカレ」として1988年世界文化遺産の複合遺産として登録されています。)
  パムッカレの全景
エフェソスからパムッカレまではバスで約2時間半、パムッカレが近づいてくると遠くからでも白い石灰棚が見え出します。
ヒエラポリスはパムッカレの石灰棚に隣接している古代都市で、紀元前190年頃にベルガモン王エウメネス2世が築いたもので、地名の由来はギリシャ語の「神聖」との説や伝説上の開祖テレフォスの妻ヒエラに由来するとも言われています。
温泉保養地として、この地域で最大とも言われたこの街は14世紀の大震災で壊滅的な打撃を受けそのままとなったようです。

 
  南門
ヒエラポリスにはこの南門と北門がありますが、どちらとかいうと北門のほうが有名なようです。
  劇場
2世紀のハドリアヌス帝のときに造られたもので、収容人員15000人。ヒエラポリスで最も保存状態の良いものとか。近くによって色々見たかったのですが遠景のみの撮影となりました。
  教会跡
  ローマ浴場と博物館
写真の右側がローマ浴場で、左の白い屋根のところが一部を修復して利用されている博物館です。
  城壁
ヒエラポリスの街を取り囲むように造られた城壁もその大半は崩れ落ちており、一部このような状態で保存されています。
パムッカレとは、トルコ語で「綿の城」という意味で、数千年にわたって湧出している温泉の石灰分が崖を流れてこのような純白の棚田を作り出したそうです。
ヒエラポリスの遺跡から数分歩いて到着したときは雲が出始め写真を撮るにはあまりよいコンディションではありませんでした。そのうえ、湧出する温泉の量が少ないのか、それとも意識的に止めているのか、数ある棚の殆んどに温泉が入っておらず、わずかに観光客用に用意された数箇所に入っているだけでした。
私も足を入れてみましたが、温泉というよりもプールの水くらいの温度で、底が滑りやすいので歩くのには注意が必要でした。

西側の城壁の裏から撮影
 
      観光客のために解放されている部分

東側の展望台より撮影
 
      石灰棚の下にあるパムッカレ・タウン
 
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