エステルハージ宮殿(Esterhazy-kastely)

フェルテー湖から南に30分ほどバスが走ったところにある街フェルトゥードに到着です。
この街にあるエステルハージ宮殿は、「ハンガリーのベルサイユ」とも称される宮殿で、エステルハージ侯が18世紀に建造したロココ調の宮殿です。
エステルハージ家は、ハンガリーの貴族で17世紀に伯爵の爵位をハプスブルク家より授けられ、以後、ハンガリーが反乱や革命に見舞われる中でハプスブルク家への忠誠を誓い、ハンガリーが何度も重大な局面を迎えたときにハプスブルク家に多大な貢献を果たして成功しました。その成果は土地の取得によってハプスブルク帝国内で最大の大地主となり、一族はここだけではなく、オーストリアのウィーン、アイゼルシュタットなどに所有する土地に大きな宮殿を建てていました。
宮殿は、1720年頃に建てた狩猟用のロッジあったこの地に建てられており、ミクロス・エステルハージ(Miklós Esterházy)の時代に増改築を重ねて1765年頃に完成し、総面積250haといわれる土地に、126もの客室、400人を収容できる劇場、2万冊を超える所蔵品のある図書館がある個人の建物としては考えられない大きさです。かの女帝マリア・テレジアも幾度かここを訪れたとも伝えられています。
ここでは、作曲家のフランツ・ヨーゼフ・ハイドンが宮廷音楽家として長いこと務めており、劇場でコンサートも開かれていたとのことです。
ミクロスの死後、宮殿は馬小屋そして野戦病院として用いられていましたが、20世紀半ばより修復が行われ、見事な宮殿に復活しています。
 
     
   
   
   
  宮殿は『コ』の字の形で建てられていますが、入り口を入った場所で、24㎜の広角で撮影しても全体が入りきれません。  
     
   
     
   
     
   
     
 
 
両翼の建物の中央には見事な噴水があります。
      
 
 
  宮殿エントランス部(中央にはエステルハージ家の紋章が飾られています。)  
   
   
  宮殿内に入ると明るい色で塗られた壁には化粧漆喰が施され、天井にはフレスコ画が描かれています。  
     
 
 
      
  壁には暖炉が設けられています。
暖炉の火をたく場所は部屋の裏側になっているので、表はすっきり見えます。
      
  壁にはプロペラ機と思しき落書きが、第二次世界大戦時のものでしょうか。
 
     
   
     
   
     
 
 
中国製と思しきものも飾られています。
 
     
   
     
 
広いフランス式庭園の庭木は面白い形に刈り込まれています。
 
     
   
  庭園側から見る宮殿、石垣のところには銅像があります。  
   
  像には名前がありませんでしたが、エステルハージ公爵?、それとも作曲家のハイドンでしょうか?  
      
   
   
   
  昼食は前菜にサラダ(上の写真)、メインはハンガリー風カツレツ(下の写真)です。  
   
     
  中食後、バスはパンノンハルマ修道院に向かいます  
     
     
     
     
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