ハーメルン
 
 
ドイツ・メルヘン街道の中間付近にあるニーダ―ザクセン州の町ハーメルン、9世紀に建てられたフルダ修道院の周辺にあった集落が結びついて町としてのはじまりではといわれていて、人口6万人ほどの町です。
この町が国際的にその名を知られるようになったのは1284年6月26日にに起きたとされる「ハーメルンの子供たちの消失」です。
伝承によると、当時ハーメルンの町にはネズミが大繁殖して人々を悩ましていたところ、色とりどりの服を着て笛を持った男が報酬をくれるならネズミを退治すると持ちかけました。町の人々は報酬を支払うことを約束して男にネズミ退治を依頼すると男の吹く笛に引き寄せられたネズミが男の後をついて行き、街のそばを流れるヴェザー川に溺れ全滅してしまいました。しかしながら町の人々は約束を破って報酬の支払いを拒否しました。男はいったん町を離れましたが6月26日に再び現れて、大人たちが教会にいる間に笛を吹きながら町を歩き、そのあとをついていった子供130人が町の近くにある山の洞穴に入って二度と戻ってくなくったとのことです。
町の旧市街はハンザ同盟に加盟していた中世の時代に建てられた、装飾が施された木骨組の家やルネサンス様式で建てられた家並みが続いています。
 
     
   
旧市街の中心となるオスター通り(左)エンメルン通り(右)  
     
  環境先進国といわれるドイツの分別ゴミ箱
このゴミ箱はガラス瓶のゴミ箱で、左は茶色い瓶、中央は白い瓶、右は緑色の瓶と区別していれるようになっています。
真ん中には、板ガラス、電球、セラミック、鉛ガラス、磁気などを捨ててはダメと書かれています。
 
     
   
木骨組の家が続く街並み   
     
  結婚式の家(結婚の家)
17世紀のはじめにルネサンス様式で結婚式場・結婚登録所として建設されたもので、正面の鐘は仕掛け時計となっていて1日に3回笛吹き男の曲を流します。現在は公文書館となっていて内部は見学できません。
 
     
マルクト教会聖ニコライ教会
12世紀から13世紀にかけロマネスク様式とゴシック様式が組み合わされて建てられたプロテスタントの教会で、第2次世界大戦の末期に爆撃で破壊され、1958年に再建されたものです。
   
 
     
笛吹き男の家
直訳すると「ねずみ捕りの家」となるこの家は、オスター通りに面して1603年にルネサンス様式で建てられいて、正面ファサードはルネサンス破風と張り出し部がある構造となっています。(現在はレストラン)
建物のそばには「笛吹き男」の像があります。
       
 
     
笛吹き男の家の手前の細い路地が、笛吹き男に連れられて130人の子供が消えたといわれる道で、今でも「舞楽禁制通り」となっていて音を出さずに静かに通り、親は子供の手を引いて歩けといわれているようです。         
 
     
  教会参事会館
オスター通りにあって、1558年にルネサンス様式で建てられ、現在は郷土博物館となっています。
 
   
  ミュンスター教会聖ボニファティウス教会
八角形の塔が特徴的なこの教会は、9世紀のはじめにロマネスク様式で建設され、13世紀のはじめに火災で焼失、その後ゴシック様式で再建されましたが、何度か破壊されており、現在の姿は19世紀の終わりに修復されたものです。
 
     
ライスト・ハウス
オイスター通りに面して、1555~1589年に豪商ゲルト・ライストの家としてルネサンス様式で建てられたもので、現在は博物館として利用されていますが、正面左側にある徳目を表すレリーフが特徴となっています
   
 
   
  民家の壁にも笛吹男のレリーフがあります。      こちらの民家の壁にはヨハネス・グーテンベルクの像がありましたが、ネットで調べてもハーメルンとグーテンベルクの関わりは解らずじまいでした。
 
     
ハスペルマート塔左()と火薬塔(右)
17世紀前半に起きた30年戦争後に、ヴェストファーレン地区(ドイツ中西部)の最重要要塞とすることとなり、町の西側にあるクリュート山に砦が設けられ、それに伴いハーメルンも要塞化が進みました。要塞はナポレオン戦争後の1808年にナポレオンによって取り壊されましたが、現在でもクリュート山にあるクリュート塔とともにこの2つの塔が残されています。
   
 
     
ヴェザー川にある中洲の島に渡る歩道橋の上には金色のネズミのモニュメントがあります。    
 
     
 
 
     
     
     
     
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