因島水軍城(2012.11.09及び2015.11.03撮影)
 
   
 南北朝時代に瀬戸内海において能島、来島、因島を拠点として、芸予諸島を中心とした海域において強大な勢力を持って制海権を握り、海上での通行料を徴収したり、水先案内人の派遣や海上警護請負を行っていた村上水軍。
もともとは一つの家であったと推測されていますが、能島村上家、因島村上家、来島村上家に分かれて海賊衆として活動を行い、戦国時代においては因島村上氏が毛利氏に臣従して毛利水軍の一翼を担い、能島村上氏は小早川氏の臣下に、来島村上氏は豊臣秀吉の配下で大名となりましたが、天正16年(1588年)に豊臣秀吉が海賊停止令(又は海賊鎮圧令)を発布して豊臣政権下の大名、特定大名の家臣、武装放棄して百姓になるのいずれかを選択すること迫ったため、村上水軍は海賊衆としての活動を停止せざるを余儀なくされました。
江戸時代に入ってから因島村上氏は毛利家の家臣に、能島村上氏は毛利家から周防大島を与えられて臣従して何れも船手組となりって活動するも来島村上氏は豊後国の玖珠郡に転封(森藩)され完全に海から離れることとなりました。
村上水軍の水軍城としては能島には能島水軍城、来島では来島城があり遺構も残されています。また、因島には多くの城が築かれて、水軍城も3ヶ所ほどあるようですが、今回は城型資料館として昭和58年(1983年)に建てられた因島水軍城を見学します。中には水軍ゆかりの品が展示されていますが撮影禁止となっています。
        
   
      
   
         

   
隅櫓(船の資料館)  
     
   
本丸(水軍資料館)   
     
 
     
   
金蓮寺(左)と村上水軍の墓(右)  
   
   
しまなみ海道  
 
 
     
     
     
     
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