カロチャ(Kalocsa)

ペーチを出発して少し経ったときに雨が降ってきました。午後3時過ぎにカロチャに到着しましたが、バスを降りたときは雨がやんでいます。どんよりした空景色ですが、雨が降っているよりはましです。
「カロチャ刺繍」として知られる街カロチャは、11世紀にイシュトヴァーン1世により、司教座がおかれた歴史のある街で、現在ハンガリー国内に4か所ある大司教座のうちの一つとなっています。
 
     
 
   
まずはカロチャの民芸の家に。
広場には木彫りの彫刻の柱があります。彩色された木片を張り合わせている見事なものです。
 
      
   
  カロチャ刺繍は、当初から現在のようなカラフルなものではなく、シンプルな白一色で作られていました。糸を染めるという技術が未発達であったからです。
民芸品として価値を持ち始めたのが19世紀の末ごろとのことであり、20世紀に入って染色技術が発達してから色落ちしない刺繍糸が普及しだし、第一次世界大戦後からカラフルな刺繍が作られ始めました。
 
     
   
  私の女房も趣味で刺繍を長年やっていますが、用いる糸は白一色です。  
   
     
   
     
   
  こちらは刺繍ではなく壁紙のようです。  
   
     
 
  
軒下に何かぶら下がっているので近づいてみました。唐辛子が干されています。
 
     
  訪れたときは秋の収穫祭が行われており、カロチャ刺繍を使った民族衣装を身に着けた人たちが音楽に合わせて踊っていました。  
   
     
   
     
   
     
   
     
   
  カロチャ大聖堂(Kalocsa Cathedral)

イシュトヴァーン1世によって創建された司教座は、創建時は木造であったものを、100年を経過して石造りにして再建されています。しかしながら1529年のオスマン帝国の来襲によって破壊され、要塞と化していました。
1686年にオスマン軍が撤退した時にはこの司教座はモスクと旅籠、雑貨店となっていたようです。その後18世紀の半ばに改修と再建が行われ、ゴシック様式の大司教座の姿が復活しましたが、第二次世界大戦によって損傷しており、修復作業が行われているもののいまだ完成に至っていません。
大聖堂には付属する図書館がすぐそばにあり、その蔵書は18世紀からのものを含めて14万冊を超えているとのことです。
 
     
   
     
 
 


ポール・トモリ(Pál Tomori)像

カロチャの大司教であった人で、1523年にオスマン軍が侵攻してきた際には撃破しましたが、1526年にスレイマン1世率いるオスマン軍との間で行われた、モハーチの戦い(「モハッチの戦い」とも呼ばれています)で戦死しています。
 
     
  40分ほどでカロチャの街を後にし、次の目的地ケチケメートに向かって移動開始です。  
     
     
     
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