世界文化遺産上賀茂神社(2016.03.10撮影)
 
   
京都市北区にある上賀茂神社は、京都の三大祭りの一つである「葵祭」が毎年5月15日に開催されることで有名ですが、正式名称を賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)といい、創建の時期は諸説があって、社殿によれば、天武天皇の御代の678年に賀茂山の麓に賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)が降臨し、社殿の基が造営されたことによるとなっており、日本の神社の中で最古の神社のひとつとなっています。創建後は皇室の崇敬を受けて歴代の天皇が行幸されていました。
毎年6月30日に神社で行われる夏越祓式(なごしはらえしき)では、篝火の炎が揺らぐなか訪れる氏子たちが人形(ひとがた)を持ち寄って境内を流れる「ならの小川」にこれを投じて半年間の罪穢を祓い清めるとのことです。この情景は藤原家隆が「風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける」と百人一首で詠まれています。(右の写真)

ここ上賀茂神社は、ユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」のひとつとして登録されています。
        
  神社への入口は「一の鳥居」(上左の写真)です。鳥居を抜けると大きな芝生の広場があってここでは毎年賀茂競馬などの神事が催されているとのことで、桜の古木もあり中でも「斎王桜」や「御所桜」と呼ばれる枝垂れ桜は見ごたえがあるとのことですが、これが見れるのはあと一か月くらい先のようです。芝生の奥には「二の鳥居」が見えます。  
     
  外幣殿
御所屋とも呼ばれ寛永5年(1628年)に建造されたもので、重要文化財に指定されていて、上皇の御幸や賀茂祭(葵祭)の一行が到着されたときに使用されます
 
     
  舞殿(左)と土殿(右)
舞殿は御手洗川をまたぐように建てられていることから橋殿とも呼ばれており、夏越祓式のお祭りでは橋殿から御手洗川に人形が流されます。
土殿は床がなく柱が直接地面に立っている構造で建てられており、別名「土舎」とも呼ばれ、勅使などがここに床几を置いて控える場所として使われています。
舞殿、土殿ともに寛永5年(1628年)に建造されたもので、重要文化財に指定されています。
 
   
  渉渓園を流れる「ならの小川」(左)と願い石(右)
「ならの小川」は少し上流で御手洗川と御物忌川が合流した川です。
境内にある渉渓園は「曲水の宴」が行われるところであり、昭和35年(1960年)に皇太子浩宮親王の誕生を祝して作庭されたものです。
願い石石は、かつてこの地に龍が住む池があったといわれ池の底より出土したこの石(陰陽石)は陰と陽が融合した形をしており、石の両側を両手で触れると深い絆で結ばれるといわれています。
 
注: 曲水の宴とは、水の流れのある庭園などで、その流れのふちに出席者が座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流し、別堂でその詩歌を披講するという行事のことです。
       
  二の鳥居
この鳥居を抜けると境内となります。
 
      
  細殿(ほそどの)と立砂(たてずな)
細殿とは皇族方や斎王が参拝される際の着到殿で、ここで装束を整えるところです。現在の建物は寛永5年(1628年)に建てられたもので重要文化財に指定されています。
細殿前にある立砂は、賀茂別雷神が降臨したといわれる「神山」(こうやま)をかたどっており、白砂を円錐形に盛り上げたもので、立砂の頂点には神が降臨する際の目印として、常緑樹の松葉が立てられています。(右の写真)
 
 
     
    樟(くすのき)橋
樟橋は御手洗川に架かる橋で、一見石橋のように見えますが橋のそばにある説明板によると樟の化石でできているとのことで、この橋を渡ると長寿になると言い伝えられており「長寿橋」とも呼ばれています。
奥に見える朱塗りの建物は楼門です。
 
     
  玉橋と楼門
玉橋は御物忌川に架かる橋で、橋を渡るとすぐに楼門となります。この楼門は寛永5年(1628年)に建てられたもので重要文化財に指定されています。
 
     
  高倉殿
寛永5年(1628年)に建てられ重要文化財に指定されている高倉殿は、この奥に国宝に指定されている本殿と権殿があり、一般の参拝者はここで拝むことになっており、すべて撮影禁止となっています。
 
     
  片岡橋
玉橋のすぐ上流に唐破風造りの廊橋で明治初年に架けられたもので、重要文化財に指定されています。
 
     
  紫式部の歌碑
片山御子神社のそばにある歌碑で、片山御子神社は「縁結びの神様」としても古来から有名で、紫式部が幾度もお参りされているようで、ここで詠まれた「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしずくに たちやぬれまし」という新古今和歌集にある和歌が刻まれています。
 
   
上賀茂神社の境内には8つの摂社と16の末社があります。摂社と末社の区別は明確な規定はないようですが、神社本庁のHPをみますと「摂社に該当する条件として、まず本社御祭神の荒魂(あらみたま)や后神・御子神を祀った社のほか、御祭神と関係のある神や現社地の地主神(じぬしがみ)など特別な由緒がある社となっていました。こうした基準に当てはまらないのが末社であり、摂社は末社より上位に置かれていました」となっています。
時間の都合もあり全ての摂末社を撮ることはできませんでしたがその一部を紹介します。
 
     
  新宮社と山尾社
新宮社は別名貴布祢(きぶね)神社または貴布祢新宮といい、この四脚門の奥に重要文化財に指定されている拝殿と本殿がありますが、鎮座した時代は不明のようです。
山尾社は境内末社のひとつで、も四脚門の中にあり、大山津見神(おおやまつみのかみ)が祭神となっています。
四脚門は常に閉じられていて一般参拝客は見学ができないようです。
 
     
  橋本社
細殿の左側にある境内末社で、衣通姫神(そとおりひめのかみ)を祭神としており、延命長寿、心身を美しく輝かせる神様とのこと。
     川尾社
罔象女神(みづはのめのかみ)を祭神としている境内末社で、日本における代表的な水神で。御物忌川の守護神となっています。
              
  須波社
阿須波神(あすはのかみ)を祭神としている境内摂社で、足場で、家や旅立ちの神様です。
(重要文化財に指定)
    岩本社
底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわ つつのおのみこと)の住吉三神を祭神としている境内末社で、海の神、航海の神そして和歌の神とされています。
 
     
  伊勢神宮遥拝所
遥拝所とは遠く離れた所から神仏などを遥かに拝むために設けられたもので、この先の方向に伊勢神宮にがあることになります。
 
 
     
     
     
     
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