岡山後楽園(2012年11月6日撮影)

金沢の兼六園、水戸の偕楽園と並んで日本三名園のひとつである岡山の後楽園は国の特別名称に指定された大名庭園で、岡山藩主の池田綱政が家臣の津田永忠に命じて造らせ元禄13年(1700年)に完成したもので、藩主の静養の場としてまた賓客接待用として利用されていたとのことで、その後に若干の手が加えられたものの江戸時代の姿を今に伝えています。位置的には市内を流れる旭川の中洲にあり、対岸には岡山城が聳え立っているところです。
   
旭川越しに見る後楽園
岡山城はこの反対側にあります。
 
古陶館
正門を入ってすぐ右手にある建物で、市内にあった武家屋敷の長屋門を移築したもので、当初は古備前の名品を展示していたことからこの名がついたとのことです。
 
鶴鳴館(かくめいかん)
賓客接待用の建物で当初は萱葺きの建物でしたが戦災で焼失。現在の建物は岩国市の吉川邸の建物を移築したものとか。
 
延養亭
後楽園の中心的な建物で藩主が訪れた際の居間として使われており、園内の景観が一望できる位置にあります。
 
 
能舞台
優れた能の舞手であったといわれる綱政公はここで能を舞われ家臣等が拝見することもあったとのことです。
 
花葉(かよう)の池
能舞台の正面にある池で夏には一天四海(通称大名蓮)と呼ばれる白い蓮の花が咲き誇ります。
池には栄唱橋という木橋が架けられています。
 

沢の池
 
寒翠細響軒(かんすいさいきょうけん)と部屋から見る沢の池と岡山城  
 
沢の池にある中の島(左)と橋で繋がっている御野島(みのしま)(右)  
 
 唯心山
綱政公の子、継政により後から築かれたもので山腹にはツツジが植えられており花の時期には山腹が真っ赤になるそうです。また頂上からは園内の景観が一望できます。右の写真は唯心山から見る沢の池です。
 
 
流店
戦災を免れた建物で藩主が庭園を散策する際の休憩所として使用されたとのことで、中央に水路がある珍しい構造です。
 
簾池軒(れんちけん)
ここからの眺望はすばらしいとのことで綱政公が好んで利用したといわれる亭舎です。
 
茶祖堂
幕末の家老の屋敷にあった利休堂を明治時代に移築し、戦後再建されたものです。
 
八橋
伊勢物語の「東下り」にちなんで池にはカキツバタが植えられています。
 
さくら道
後楽園の外周旭川沿いにある道はさくらの木が植えられており春は花見客でいっぱいになるようです。
 
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