ライプツィヒとバンベルグ
 
前日泊まったドレスデン近郊のケッセルスドルフのホテルを出ると、小雪がちらついておりバスの温度計は0℃を示しています。8時40分に集合、人数が少ないこともあり時間通りライプツィヒに向けて出発。約100km、バスで約1時間半でライプツィヒに到着です。
ライプツィヒ
 
ライプツィヒという街の名前の由来は、7世紀にここに住み始めたスラヴ人の言葉で「リプツィ(菩提樹)」からだといわれています。中世には商業、金融の街として栄え今でも当時の商館などが残っています。また、15世紀の初めにはドイツで3番目に古いライプツィヒ大学が創設され、ゲーテ、ニーチェそして日本の森鴎外などがここで学んだそうです。
聖トーマス教会
13世紀のはじめに建てられたこの教会では、後半生をこの街で過ごしたバッハが、オルガニスト兼指揮者として活動。また、マルティン・ルターが新教布教のために、説教を行った場所でもあります。
下左の写真は教会前の広場にある新バッハ像(旧バッハ像も教会そばの遊歩道にありましたが、雪覆いで囲われていました。)、下中央の写真は教会内にあるバッハのお墓、下右は教会内にあるステンドグラスで真ん中の人物がバッハです。
旧市庁舎と新市庁舎
左は16世紀の半ばに建てられたルネッサンス様式の旧市庁舎で、現在は歴史博物館となっています。右は新市庁舎で20世紀のはじめに建てられたものです。
旧商品取引所とゲーテ像
左は17世紀の終わりに建てられた旧商品取引所で、当時はここで商談が行われていたとか。右はゲーテの像で商品取引所のそばの広場に立っています。
ニコライ教会
1165年にロマネスク様式で建てられたこの教会は、16世紀に後期ゴシック様式そしてクラシック様式にと手が加えられ現在に至っており、商人の守護神である聖ニコラウスに捧げられたものだそうです。
また、月曜ごとにこの教会で開かれていた集会が民主化を要求するデモにと発展し、1989年のドイツの統一に寄与していったとのことです。右は教会の内部で、ほかの教会と違った印象を受けます。
アウトバーン
片側3車線のこの道路がどこまで走ってもタダ!どこかの国と大違いです。
バンベルグ
 
ライプツィヒの新市庁舎の地下にあるレストランで昼食をとり、約250km離れたバンベルグに到着したのは夕闇も迫る午後の4時半でした。バンベルグの歴史は、10世紀のはじめごろといわれており、幾多の戦火により領主が代わるといった歴史があるそうです。市街は第2次世界大戦の戦禍を受けることなく中世の建物が数多く残っており、その旧市街は1993年に「バンベルグ市街」として世界文化遺産に登録(下の写真はいずれも登録されているものです。)されています。
街を流れるレグニッツ川沿いにはかつて漁師が住んでいたという小さな家々が立ち並び、このあたりを「小ヴェネツィア」とも呼んでいるようです。
バンベルグ大聖堂
11世紀初頭に建てられたこの建物は2度の火災にあい、13世紀に再建されたとのことで4本の尖塔が特徴的です。
旧市庁舎
15世紀に建てられたというこの建物。街を流れるレグニッツ川の中州の部分に建っており、建物の両側の壁にはフレスコ画によるだまし絵が一面に描かれています。(右の写真、ちょっと色がわるいですが・・・)
なお、世界文化遺産に登録されている建物はこのほかにも新宮殿、ゲーヤースヴェルト城、コンコルディア城、アルテンブルク城、聖マルティン教会そして聖ミヒャエル修道院等があるようですが、すでに日も暮れており見て回ることができなかったのが残念です。
 
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