レヴォチャ(Levoča)
 
レヴォチャに着いたのは午後5時少し前、ホテルにチェックインしてから夕食前に街歩きです。
ここレヴォチャの町は13世紀半ばのモンゴル軍の侵攻後に、ハンガリー王が防御線としての機能を持つ町として造ったもので、高い城壁と、深い濠に囲まれていました。
現在も旧市街の周囲は高い城壁が残り、中世の様子がよく保たれていて、1993年にユネスコの世界遺産に登録されていた「スピシュスキー城及びその関連する文化財」に追加する形で、2009年に「レヴォチャ歴史地区、スピシュスキー城及びその関連する文化財」として登録されました。
 
      

コシツカー門(Brama Koszycka)
町の北東側の入口となる城門ですが、あいにくと修復中で姿を見ることができません。
 
バロック様式の教会と少数民族の修道院(Barokový kostol a kláštor minoritov)
コシツカー門の手前右手にあり、もともとは古い教会があった場所で、火災のため焼失した後に1755年に建てられたものです。
       
  カトリック教会(Bazilika Navštívenia Panny Márie)
城壁の外、丘の上にある教会です。
      
  聖ヤコブ教会(Chram sv.Jakuba)
聖ヤコブ教区聖堂も呼ばれる教会で、町のマイステル・パヴォル広場(Námestie Majstra Pavla あるいはマイストラ・パヴラ広場)にあります。
教会は15世紀に建てられたもので、スロバキア国内で2番目の大きさを誇り、内部の高さ18mを超える祭壇は、世界最大のゴシック様式で造られています。
生憎とご覧のように修復中でした。
  
旧市庁舎(Levočská radnica)
.マイステル・パヴォル広場の中央に、ルネサンス様式で1615年に完成、その後何回か改築が行われて1893年に現在の姿になったものです。現在は歴史博物館となっています。
旧市庁舎のアーケードとフレスコ画
  
旧市庁舎のアーケードの下では若い職人さんが、等身大ぐらいの大きさの木彫りの彫像を鑿を使って制作中でした。
  
  恥の檻
旧市庁舎前には、ヨーロッパの町でよく見かける恥の檻が置かれています。
罪人などをこの檻に入れて晒し者としていました。
  
福音ルーテル教会( Evanjelický kostol)
マイステル・パヴォル広場の南側にあり、1837年に古典主義様式で建てられたプロテスタントの教会です。
 
  マイステル・パヴォル(Master Paul)の家
マイステル・パヴォルは地元出身の彫刻家で聖ヤコブ教会の祭壇を制作したことで知られています。現在は、スピシュ博物館のひとつとして使用されており、祭壇のレプリカが置かれています。壁一面にフレスコ画がありますが、剥げ落ちていて何が描かれているのかわからない状態です。
いずれ修復されるのでしょうか?
  
旧市街を歩いていると、どう見ても廃墟として見えない建物が何軒もあります。世界遺産の町なのにちょっと惜しい気もしますけど。
 
メンハルドスカー門(Menhardská brána )
レヴォチャに3つある旧市街への入口となる門ですが、上は旧市街側、下は外側です。外側はどう見ても修復されている感じで、内側と比べるとちょっとアンバランスな感じですね。
  
市壁には大きな監視塔も設けられています。 
  
 現在は空濠の状態ですが、造られた当時は水がありました。
  
翌朝ホテルの外へ出てみると深い霧に包まれています。午前9時を過ぎているのに一向に晴れません。ぐるっと広場の周りを歩いて午前10時にヴルコリニェツに向けて出発です。
  
 
 
  
   トップページに戻る   スロバキアその2に戻る    ヴルコリニェツを見る